2017.02.15更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。人と人の関係で誤解は付き物です。説明不足、意思疎通の不足で誤解は起こります。それはある程度、後で解くことが可能です。しかし、時にそうでないことがあります。例えば、「笑いかける」行為は人間関係にとって、大切な潤滑油になります。ときには、相手に「大丈夫」を伝えたりするときにも笑顔で接します。しかし、それを「笑われた」ととってしまう人もいます。「被害妄想」です。被害妄想とは、正しい道筋の無い考え方で、被害にあっていると勘違いして思い込んでいて、それを訂正できない状態ということです。実際は「被害を受けていないのに被害を受けていると思い込んでしまう」ことが「妄想レベル」になり、それを周囲がどう説得しても訂正出来ない状態を「被害妄想」と言います。「それは、こういった理由があるから、違うんだよ」と伝えても訂正できないレベルで深く思い込んでいて、それが非合理的(道筋がない)であるということです。自分の価値観の中で判断してしまうと、その人は「頑固」「変わり者」「いじわる」と映り、なかなかよい人間関係を構築できません。そもそも「被害妄想」は強い自己防衛本能に基づく行動であり、相手のことを考える余裕がないことで起こります。実際自分に降りかかると「いじわる」な気持が湧いてこなくもなく、批判することはできません。接し方がとても難しいということだけが残ります。

投稿者: 葉山クリニック

2017.02.02更新

葉山クリニックの撫中です。人間の体は60兆個の細胞から構成されています。その細胞一つ一つは触って確認できる物質です。それでは、

細胞一つ一つに意識はあるのでしょうか?人間のからだは新陳代謝によって細胞は頻繁に入れ替わり、今のからだの細胞は半年後にはほとんどありません。なのに、「私」という意識は変わらず存在します。このことからも細胞一つ一つに意識があるとは到底思えません。とすると、ゼロのものがいくら集まってもゼロですから、細胞が集まっただけの脳組織には意識は発生しないはずです。しかし意識は歴然と存在します。物質以外のものが存在するということになります。しかし、意識も重さがあり、物質だという意見もあり、まだまだ解明には時間のかかる話です。そしてもう一つ意識はどこにあるのか、ということです。私たちは、毎日「睡眠」をとります。その中でも、「意識」がないと感じている睡眠のステージと活発な脳活動をしているステージ(REM睡眠)とがあります。研究によれば、意識がないと感じている睡眠ステージでも簡単な夢はみているそうなので、やはり「意識」はあるのでしょう。(ただ、夢は脳活動ではありますが、「私」の意識と言えるかどうか?)そして最後は「死」です。死後、「私」の意識はどこにあるのでしょうか?意識は物質なのか否か?今の私にはわかりませんが、「死」後に「私」の「意識」が存在するのか、そしてどこにあるのか、わかったら、報告します。(報告できる方法があれば、ですが、、。)

 

投稿者: 葉山クリニック

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