2026.10.26更新

放課後の教室
 少年は、西陽が差し込む窓側の席で、部活終わりに帰り支度で忙しかった。支度が終わろうとした時、教室のドアが開いて、人が入って来た。同じクラスの女の子だった。
 いきなりだった。
「これ、あげる。」
小さな包みを差し出すと同時に声をかけてきた。
「なに?」
「チョコレート」
「なんで?」
「クラスの女子で決めたの。全員誰かにあげるって」
「そうなんだ。」
「だから、あげる。」
「ありがとう。」
チョコレートを受け取った。バレンタインデーが近かった。だけど、その時の少年にはその意味がはっきりと認識できていなかった。
 10年後、ふとあの日のことが思い出された。やはり、バレンタインデーだから、好意があったと考えるのが自然だ。後日、わかったのは、その日、女の子が言っていた女の子全員が誰かに渡すという縛りは、なかったということだ。つまり、渡されたのは、少年だけだった。だか、少年は、幼すぎて、そのことに全く気付かず、その後の返事をしなかった。もちろん、その後、その女の子との交流の進展はなく、そのまま、卒業した。
 それから、さらに40年、少年は、初老の男に変わっていた。来年卒後50年で初めて同窓会が開催される。その知らせを受けた時、真っ先に思い出したのは、その日のやり取りだ。そして、女の子の姿。このことを彼女は覚えているのだろうか。そのことを確認すべきなのか。
 だけど、卒後50年。一度も会ってない人だから、記憶の中の少女は、すでに67歳の老婆。当たり前だか、こちらも爺さん。やはり、確かめることはないだろう。淡い思い出として、自身の胸の中だけに留めおくことになる。そして、時々、思い出して、恋する気持ちになる。それで充分だ。

 

投稿者: 葉山クリニック

2026.10.26更新

 


 梅雨明け間近、私は、小雨の中、商談に向かっていた。程なく、雨があがり、綺麗な虹がかかった。咄嗟に写真におさめたいと思い、携帯を探した。ところが、あるはずのポケットにない!全身をチェックしたがやはりない。さっき食事したばかりのファミレスだ。忘れた場所はそこしか思い当たらない。急いで引き返す。元座っていた席に行くと、既に新しい客が座っていた。
「すみません。ここに携帯ありませんでした?」
「ありましたよ。でも、お店の人に預けました。」
と丁寧にその客の女性は応対してくれた。
私は、店員さんに事情を説明し、返却を促した。店員さんも了承したが、やはり、最近の時勢では、もう一段落、セキュリティ面での配慮が必要だと説明された。一度、携帯を鳴らしてほしい、と要求された。急いでいた私は、図々しく、先のお客さんに、
「すみませんが、〇〇にコールしてもらえませんか?でないと、携帯が私のであると信用してもらえなくて。」
「わかりました。かけてみます。番号、教えていただけますか?」
彼女は、快く引き受けてくれた。
その後、店員さんは、確認出来たと携帯を返してくれた。
「ありがとうございました。ほんと、助かりました。あ、そうか!着信履歴、削除しなきゃ、ですよね。」
「そちらの履歴も消された方がいいですよ。」

そう言った時、違う、そうじゃない。言うべき言葉を間違えてる。そう思ったら、
「いや、もしよかったら、このまま、残しておいて下さい。田中といいます。後日、御礼がしたいです。」
彼女は、戸惑いを見せた。
「やはり、ご迷惑でしたね。」
諦めかけた時、
「このまま、履歴残します。」
と思いもかけない返事がかえってきた。その瞬間、何かが決壊する音がした。
 私は、もう一度、御礼を述べ、急いで商談へと向かった。そして、始まってしまった、と感じた。もちろん、携帯だけは、なくさないようにしっかりと鞄に確実にいれた。
iPhoneから送信

 

投稿者: 葉山クリニック

2026.10.26更新

最後のキス
 窓から見える景色は、葉の落ちた樹々と澄み渡った空だけ。この景色は6ヶ月間、観てきた構図の最後の形だ。最初は、緑の葉をいっぱいにつけていた。その時はまさか、裸樹になるまで、ここにいようとは考えてなかった。
 夏前に受けた健診で、膵臓の数値に若干の異常が認められた。事後措置に厳格な会社なので、さっさと済ませてしまおうと思い、すぐ、病院を受診した。軽い気持ちで受けた再検査の結果は一週間後に、病院からの呼び出しという形で知らされた。
「膵臓に腫瘍が認められました。もう少し精密な検査が必要なので、すぐ入院してください。」
私は、来年、定年を迎える商社に勤めている。もう少しで、自分の人生を折り返すところだった。これから、仕事だけの生活から、やりたいことをやっていこうと考えていた。それから、妻に、これまでの感謝の意味も込めて孝行するつもりでいた。具体的な計画も幾つか考えていて、まず、妻がかねてから、興味を持っていた世界遺産をめぐる旅な一緒にいくことだったり、趣味の陶芸のためのアトリエを作る段取りもしていた。すでに設計図、資金面も具現化していた。
 しかし、それは出来なくなった。私の身体はすでに進行癌に侵され、自重に諍うのが精一杯だった。さらに、感染を併発し、腹部には一部、開放創があった。つまり、お腹は、開いたままだった。
 余命はどれくらいだろう、と自問するも答えは見つからない。
 妻へのプレゼントは渡せないが、逆に妻への愛着は日に日に強くなっていった。
「ごめん。なにもしてあげられなくなった。申し訳なくて情けない。」
「あなた、いいのよ。私は、あなたで幸せだったわ。あなたに何かもらったり、連れて行ってもらったり、することより、あなたがいること、一緒に過ごすことが私には大切なことなのよ。」
そういった彼女は既にに泣いていた。
「なあ、頼みがある。こんな歳になっても、君を愛おしく思っている。久しぶりにキスをしたい。」
 私は、最後のちからを絞り出して言った。
「100年経っても君と笑いあいたかった。
ずっと好きなまま、おわってしまった。好きなまま。」
その時、私は、深い眠りの中に落ちようとしていた。ほほにわすがに、なにかが接する感じがした。幸せな感覚だった。私は、安心して眠りについた。

 

投稿者: 葉山クリニック

2026.10.26更新

名前のない一日
 
大学に入学して、私は、ワクワクしていた。大学の授業、キャンバスの景色、学生たちの喧騒、すべては新鮮に感じた。数ヶ月経った頃、友人に誘われて、学生生活に付き物のアルバイトを始めた。最初に面接を受けた流行りのファーストフード店でのバイトはすんなり決まった。初めての仕事だったが、初期研修を受けた上で、マニュアル化された業務は無難にこなして、1ヶ月過ぎた。客に対する挨拶も板についてきた。多少のアドリブも入れられるようになった。
 そんなある日、外は見えるくらいの雨が降っていた。客もいつもより少な目だった。雨を避けるようにフードを頭に被った高身長の男性が店に飛び込んで来た。肩の雫を手で払い、最後にフードの雫を払い、フードを外した。私は、ずっと一連の動作をみながら、何かが始まる予感がしていた。その予感は、フードを外した瞬間、現実になった。一目で、その男性に好意を持った。   
 彼は、カウンター上部のメニューを見るために私の前に立っていた。それから、低い落ち着いた声で注文した。私は、かろうじて、彼の注文を記憶し、反復してオーダーした。会計金額を告げ、彼は支払った。いつもは、
「商品が出来上がるまでお待ち下さい。」
で終わる。それが、どうしたのだろうか、自分でも、わからないが、反射的に、
「その髪型、カッコいいですね。」
と発してしまった。
「ありがとう。」
 彼が平坦に答えたとき、私は我に帰って急に恥ずかしくなった。顔が自分でも紅潮するのがわかった。たぶん、目の前の彼にも伝わったはずだ。私はドギマギしていた。彼は席を確保するためにすぐ、その場を離れた。
 突拍子もない自分の言動に困惑していた。もじもじしている間に
商品が出来上がった。注文番号をコールした。いつもなら、無機質にかなりの音量で呼べたのに、その時ばかりは、少し小さな声で、彼の番号をコールした。彼も数分前のやり取りを覚えていて、意識した感じで私の前に来た。
「どうぞ。」
商品確認が飛んだまま、渡してしまった。それで終わりになると思った矢先、
「明日も、バイトしてますか?」
突然、彼が質問して来た。予想しない展開に戸惑い、
「いいえ。」
と反射で返答した。なんて無愛想なトーンだろう。自分でもそう思うくらい嫌そうに聞こえる返事だった。
「そうですか。すみません。」
彼の言葉は、完全に拒否されたという落胆した応答だった。意図せぬ流れに私も自己嫌悪に苛まれた。私が声を出せないままでいる間に、彼は店の一番角のテーブルで大人しく、食べ始めた。なんて間抜けな事してるんだろう。気持ちと言動がバラバラのまま、
(どうにかしないと、)
と私はそう考えていた。すると、目の前のレシートが目に入った。彼のだった。その瞬間、私の心が動いた。私はレシートの裏に
(火金土がバイトです。.)
と走り書きして、彼のテーブルまで急いだ。
「レシート、お忘れです。」
と声に出して、彼のテーブルに走り書きを伏せて置いた。そして
すぐ、持ち場に戻った。
(気づいてって)
心で念じてずっと彼を見ていた。レシートは背中越しで見えない。少し経って彼が振り返って、私を探した。すぐに目が合った。彼は右手のレシートを顔の横にあげ、声には出さずに、私に
「わかった。」
と大きく口を動かし、返事した。そして、表情は笑顔へと変わっていた。明日は木曜、明後日はバイトの日。彼は来るだろうか。でも来てくれる予感がした。あさってのー好きーが色づいて感じられた。私の拙い告白は私の少しの勇気で、結実するかもしれない。これから2人の前には真っ白な未来があってそこに2人でなにかを描いてゆくことになるかも知れない。一緒に笑ったり、みつめあったり、同じ時間をともに過ごすことになれば、嬉しい。私の妄想は、瞬く間にひろがり、私は、春の中に溶けていく感覚を覚えた。その体は既に宙に浮いていた。恋はやがて愛になる、そう確信した。名前のつかなかった今日は、出会いという名前のついた日へと変わった。

 

投稿者: 葉山クリニック

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