記憶と思い出
2017.07.13更新
宗像市葉山クリニックの撫中です。7月上旬に2つの同窓会がありました。1つは40年前の浪人生時代の仲間の集まり、もう一つは30年前の仕事仲間の集まり。思い出話に花が咲き、楽しい時間を過ごしました。ただ、記憶というものは曖昧なところも多々あって、思い出も人によって変容していたりします。最近2人の物理学者が時間は存在しないという論理を発表し、話題になりました。また、別の概念では、過去、現在、未来、これらは一方向性に流れているのではなく、同時に存在する。つまり、記憶として、自分の中に同時に存在するものである、というのです。だから、40年前の記憶も、5分前の会話で書き換えられてしまい、それが40年前の出来事になる。一億年前の化石も5分前にわれわれの頭のなかで1億年前と記憶すれば、それが事実となる。では、思い出は幻想にすぎないのか?40年前の受験の時、浪人生だった私と友人が同じ大学を受けたことを私は明確に記憶していますが、友人には記憶がありませんでした。その記憶(過去)は現在の自分には、「過去」として存在し、友人には「過去」として存在しません。やはり、時間とは、自分の中、記憶でしかないのでしょうか?ただ、その自分の記憶でしかないものも共有できる記憶をもつものが複数いれば、思い出として成立し、とても情緒的なものに変わります。存在という物理的な概念からは、離れて「幻想」でもいいじゃないか、と思わせるほど、心地よい「時間」を過ごせます。このことは紛れもない事実です。
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