2020.02.20更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。最近、表題の言葉を耳にする機会が増えました。医業現場では、こうした原則が実行されず、「急患」の名のもとにいつでも仕事するのが従事者の前提でした。(今もその考えはあまり変わりない)開業では、診療時間は標榜している通りに実施します。地域の救急体制も整備され、夜間呼び出しはなくなりました。個人的には、仕事を始めてから、完全週休2日だったことは一度もありません。そもそも週休2日は1965年、松下幸之助が提唱し、松下電器(現在のパナソニック)で始まったそうです。その後、官公庁、義務教育現場で、1992年に導入されています。人は環境に適応します。この4月から、週休2日が体験できそうです。松下幸之助が提唱したように、2日間休むのではなく、1日は自己研鑽のために使用しようと思います。正確には現状より0.5日増えるだけですが、。

投稿者: 葉山クリニック

2020.01.17更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。朝通勤途中、ラジオからこの情報が聞こえてきました。25年前、当日、私は四国の実家にいておおきな揺れを感じ、飛び起きたことを思い出しました。TVからは火災の映像、交通機関の麻痺などが次々を情報として入っていました。克明にその映像を覚えていますし、25年前という時間間隔が信じられないです。この震災をきっかけに会社を辞め、地元に帰った知人。今も長田地区で元気に頑張っています。私はこの震災で自身の人生が転換することはありませんでしたが、その後、会社勤務(産業医)を辞め、現在、地域医療に従事しています。しかし、転換するときに自身の強い意志が働いたわけではなく、知人と同様、思いもしないきっかけでそれまで想像していなかった転換を迎えました。それまでの人生、また今後も、なるようになる、といったところでしょう。ただ、天災などで転換を余儀なくされ、人生を翻弄されることは望んではいませんが。

投稿者: 葉山クリニック

2019.12.23更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。冬至っていつだっけなあ?と昨日考えました。昨日、冬至でした。ご存知のように冬至とは1年で最も日が短い、翌日から日が長くなっていく日です。そこで、冬至を太陽が生まれ変わる日ととらえ、古くから世界各地で冬至の祝祭が盛大に行われてきました。中国や日本では、冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力が甦ってくることから、陰が極まり再び陽にかえる日という意の「一陽来復(いちようらいふく)」といって、冬至を境に運が向いてくるとしています。つまり、みんなが上昇運に転じる日なのです!運気が上がるかどうかはわかりませんが、これから日が長くなっていくと思うと、気持ちが上がります。それにつれ、体調も良くなります。季節は毎回廻るものですが、その回転は年々早く感じます。人間の感覚で時間さえも変わるのです。待ち遠しく思う気持ちは明日への活力です。因みに何を待ちどおしく思うかは、自由に設定してください。

 

投稿者: 葉山クリニック

2019.12.03更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。今TVドラマで毎週楽しみにしている番組があります。その中で主人公が自身の故郷の方言を使うのですが、非常に難しいアクセントでその地域のことは全く知らない私からすると「上手」にしゃべっていると感心させられます(実際その地域のひとが聞けばまた違うのでしょうが)。私にもふるさとがあります。先週、中学の同級生に正月の同窓会には出席できないという趣旨の電話をしました。その時の会話ははじめから方言で、大学に入るまで使っていた言葉です。自分では方言はいつでもしゃべれるつもりでしたが、違いました。正確には喋れているのですが、友人から出る言葉にはやはり異質なものを感じました。こんなアクセントだったのかって。数分後には同じ調子になっていましたが、長く使わないと、錆びるものです。今使っていることばは、関西弁と九州の言葉が混じっています。純粋な故郷の言葉は全く別に存在していると再認識しました。自分がなにでできているか、改めて考えた日でした。

投稿者: 葉山クリニック

2019.10.18更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。今年、一般的には老年期と呼ばれる年齢に達しました。若いころの「歌」が懐かしいんです。というのも思い出というのはいろいろなものと紐づけされ、記憶し、保持、固定化、想起されるものです。歌というのは、保持する努力がそんなに必要なものではありません。好ましいと思うと繰り返し、聞きますし、巷でも流れます。その時代の経験とともに記憶されます。だから、記憶、思い出を意識して考えなくても、歌を聴いただけで思い出が甦ってきます。それも事実関係よりもそのときの心情を彷彿とさせてくれます。遠い記憶というのは、人間に都合よく保持されることが多く、あまり苦しいものは思い出しません。人の軌跡とは結局、脳内の記憶です。そして軌跡をたどることは心地よいものです。人生の折り返しとは軌跡をたどることが多くなったことで実感するものだと思います。まだすこし先のほうを考えることもあります。時間軸の線上にいることを強く意識するこの頃です。

投稿者: 葉山クリニック

2019.09.26更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。灯滅せんとして光を増す(とうめつせんとしてひかりをます)という慣用句があります。意味は、物事が滅びる間際にしばらく勢いを盛り返すこと。また、人が死ぬ直前に少し容態がよくなること。『法滅尽経』にあることばで、ろうそくなどの灯火がまさに消えようとするとき、瞬時明るさを増すことから来ています。物理的には、ろうそくの芯は周りのロウが邪魔で燃えにくくなっています(実際に燃えているのは、気化したロウと酸素がふれることで燃えています)。消える直前周りのロウが溶けて流れて芯がむき出し状態になります。そのため芯が一気に燃えるので明るくなると考えられています。つまり燃える物体が異なるから、明るさ、大きさが違うのです。人が最後に頑張るのは、「終末努力」などといいますが、それまでの努力とは違う努力が最後にできるときに可能になるのでしょう。おそらく、それまでの努力が「苦痛」であったのが、先がみえることから、開放感、達成感などで「快感」に変わることで、リラックスでき、それが行為に結び付くことで、今までよりもよい成果がでるのではないでしょうか。何事もやらされてやるより、楽しんでやるほうが結果もいいということでしょう。そんなことを多く探せると人生そのものが楽しくなるのかもしれません。

投稿者: 葉山クリニック

2019.09.03更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。通勤時刻は毎日ほぼ同じ時刻です。季節によってまだ夜が明けていないとき、すでに日の出の後など、周囲の環境は変化し、あっという間に1年がサイクルします。通勤路には決まった時刻に同じ場所を散歩している人など段々と気づいてきます。数年前から、某10階建てビルの8階の灯が朝5時から必ず灯っていることに気づきました。もちろん周囲は真っ暗。それに室内の蛍光灯が見えるのでどなたかの居室であろうことは想像に難くありません。しかし、人影を見たことはありません。比較的早い時刻に通勤しているため、同じ時刻に起きているひとには親近感がわきます。なにをしているひとでしょうか?浪人時代、同じアパートの住人が深夜まで、部屋の明かりをつけて勉強していました。なかなかその時間まで勉強することができなかった私は部屋の明かりを消すとき、いつも劣等感を抱いたものでした。灯はそこでの人の暮らしを想像させます。ほぼ妄想かもしれません。31年後、浪人時代の同窓会があり、遅くまで勉強していた友人に、実は早い時間から寝ていたと聞かされたときには驚きましたが、その時知らなかったことで少しは自分の励みになっていたと思うと、感謝しかないです。

投稿者: 葉山クリニック

2019.08.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。前回夏至につて書いたばかりで、「立秋」です。昨日、いつもの出勤時間に玄関を出ると、まだ夜が明けていませんでした。夏の終わりを感じたのですが、そうしたら、暦は「立秋」でした。われながら、その「季節感」にびっくりしましたが、同時に「暦」の正確さにも驚きました。「暦」は未来、「歴」は過去、のことを意味するそうです。また、暦と占いは分かちがたい関係にありました。平安時代からは、暦は賀茂氏が、天文は陰陽師として名高い安倍清明を祖先とする安倍氏が専門家として受け継いでいました。まだ、クマゼミが鳴いています。クマゼミも暦をかんじて毎年出没するのでしょう。自然の法則は不思議なものですが、興味深いです。季節の変化を肌で感じることができるのは、明け方が一番簡単だと思います。朝寝していては、まだ「暑い夏」ですが、早起きすれば、「もう秋」です。

投稿者: 葉山クリニック

2019.06.28更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。6/22夏至でした。個人的に、季節の中では夏が好きです。また日照時間が長いと終業してから、翌日までの流れに少し余裕がある感じがします。当然、時間は同じなのですが、何かひとつしようという気になります。某アーチストが「自分の夏は夏至までで、それを過ぎると秋です。」と言っていた。同じような心象を持ちます。まだまだ暑くなりますが、夏に向かう時の気持ちの高揚感から、夏が去っていくときの寂しさを一瞬感じる瞬間が夏至です。1年ごとの巡りの中で、夏のこの瞬間を待望している感じと夏の真っただ中にいる実感(暑いと感じる、汗をかく)、まとめて「夏」。実際、暑いと苦情も言います。でも夏が年々好きになります。若い頃より、はっきり意識します。ただ、毎年1-2回熱中症になり、体力の低下、熱順応の衰えも同時に実感します。

 

投稿者: 葉山クリニック

2019.06.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。人生の終わり方は多様です。準備なく、突然、終わりを迎える時、緩やかにその時を意識しながら迎える時、死後どのような世界が待っているかはいろいろ諸説ありますが、生きている間に経験できません。経験するのは、残された者の感情を持つことです。「悲しい」「寂しい」「辛い」「穴が開いたよう」「考えられない」「実感がない」など様々な表現があります。患者、近親者、友人などその「関係性」によってもその「思い」には差がでます。亡くなった場所、死の迎え方、死直前の様子などを話題にし、各人「安らか」だったということに帰着点を持っていくことが多いと思います。各人、自身の納得、「慰め」をその言葉の中に求めているのだと思います。生きていても毎日会う人は限られます。その時間も限られます。実際には「生きていても、」「亡くなっていても」物理的には会ってない時間は同じですが、「生きている」という情報で安心します。でも「亡くなる」とその後、絶対に会えません。「死」とは実際に会えないことではなく、もう会えないと思うこと、そのことがそれぞれの感情を持つ一番の理由になるのではないでしょうか。会えないことに慣れるには時間がかかります。その時間そのものが「死」の実態だと思います。ただし、理屈ぬきで、涙は出ます。

投稿者: 葉山クリニック

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