2022.04.16更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。4月半ばになると、軒先につばめが飛来します。ここ数日、電線の上から「チュルチュル」という会話が聞こえて今年もきたことを確認できます。しかし、毎年同じつばめが来ているかと言いうと、そうでもないようです。つばめの生理学的寿命は15年くらいあるようですが、実際の平均寿命は1.5年だそうです。それほど生存することが厳しい環境のようです。今年こそ雛を見たいものです。つばめにはコロナは関係ないでしょうから、環境因子の一つである人間がつばめの脅威にならないことを願って今朝も電線のつばめに視線を送りました。

投稿者: 葉山クリニック

2022.03.29更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。1日は24時間と決まっていますが、人間の時間に対する感覚は同じ1時間でも長くも短くも感じるものであることは誰もが経験することです。特に表題の1-3月にかけては行事、などの影響で時間経過がはやいと感じます。物理的には昼間(日照時間)が短く、1日が短い感じもします。ようやく、朝の通勤時間に日の出が見れるようになりました。やがてすぐ燕が飛来するでしょう。桜はすでに満開です。今、春が来ています。コロナ感染も停滞。明るい春が訪れることを願います。

投稿者: 葉山クリニック

2022.02.28更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。世界では、今、地域での他国による侵攻、人権弾圧など良心では到底理解できないことが起こっています。これは、良心的、常識的と考える人々からの視点で語られることが多いです。しかし、それを実行している側の人々にも理由があり、決して悪いことをしているという自覚があるようには思えません。サイコパスとは、一般的に正常とされている人格から逸脱しており、その人格が原因で自分自身や社会を悩ませる人と考えられています。具体的には、他人に対して冷淡、共感することができない、良心を失い罪悪感が全くない、自分の行動に対して責任を持つことができない、嘘をつくことが当たり前、非常に自己中心的、口が達者で表面だけで見ると魅力的に感じられるなどといった特徴があります。一番厄介なのは自覚がないことです。なんでも自分のことを正当化でき、他人のせいにできます。治療方法がありません。世間でもトラブルはこうして起こっているように思います。自分自身ももしかしたら、サイコパスなのかもしれません。

投稿者: 葉山クリニック

2022.01.26更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。コロナ感染と言われてちょうど2年経ちました。未知の感染でしたので、その恐怖は大きかったです。しかし、2年間で6つの感染の波が観測され、その感染力(広がる力)と、毒性は一般的な感染流行から終息に向かう順序からは逸脱していません。つまり広がる一方、弱毒化する傾向です。今回の第6波はその特徴が顕著です。この2年間の累積感染者数222万人 死者1.8万人(致死率0.8%)、第6波感染者45000人/日 死者17人/日(致死率0.03%)(2022.1.25付け毎日新聞)です。加えて例年インフルエンザは冬期4-5か月間で1000万人感染、死者1万人(致死率0.1%)であったことを考えると、コロナ感染は年間感染者数はインフルエンザの1/10,致死率1%は10倍だったことになります。はじめは強毒であったことがわかります。しかし第6波に至った現在ではその毒性はインフルエンザの1/3にとどまるデータです。弱毒化したと言えます。しかし大きく違うのはその扱い方です。法的にはまだ強毒である前提のまま、運用されています。インフルエンザの流行していた時にも学級閉鎖、出社停止などの措置は取られていましたが、これほど世の中が混乱した感じはありませんでした。やはり、印象操作で行動制限されているように感じます。データに準じた柔軟な行動変容が必要だと考えます。

投稿者: 葉山クリニック

2021.12.16更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。 コロナ感染は世界的には未だ終息傾向をみせないままです。日本においては今、鎮静期とみられますが、変異種の再流行など、まだ予断は許さない状況です。加えてインフルエンザの予防接種をこの時期進めています。ところがインフルエンザは今年も流行する気配はありません。日本において、コロナ流行前の一昨年1200万人、翌年728万人、昨年1.4万人と激減しました。同じスケールでグラフにすれば、昨年はほぼ基線上(ほぼ0)です。しかし、特に北半球では, COVID-19流行前のピーク時の50-100分の1の報告数とはいえ, 2021/22インフルエンザシーズンに向けて時間とともに報告数が少しずつ増えてきていることです。消滅はしていないようです。自然界は、ウィルス干渉というルールを律儀に守っているのか、その流行については不明で、不思議です。

 

 

投稿者: 葉山クリニック

2021.11.17更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。昨年12/25に「虎ノ門ニュース」でTVで御馴染みの武田邦彦先生が講義された事柄です。

人は約60兆個の細胞からできていますが、その個々の細胞がどうやって連携しているか、イワシの「群れ」の端と端がどうやって連絡しあっているか、など不明であり、この説明に「絡合」を使っておられた。人類は「物質」と「情報」のふたつで現象を説明しようとしてきましたが、説明つきませんし、そのふたつだけでは幸せになれません。「絡合」は人の幸福と直接結びついているようです。いままで、敢えて「人」と表記しましたが、やはり「人間」、他者とのかかわりがあってはじめて満たされることが多いと考えます。個では生きていけないものであります。他者とのかかわりで一番、「絡合」がわかるのは、「死、先祖、過去、未来」などとのつながりです。もっと身近なところでは、「会えていない人、もう会わなくなった人」とのつながりです。その存在を考えるときに「絡合」があり、「出会い」「別れ」などすべて絡合です。人間はこの部分が満たされているとに幸福を感じ、そうでないときに孤独を実感する。だから、記憶の中には「つないだ手のぬくもり」がいつまでも残っているのではないでしょうか。

 

 

投稿者: 葉山クリニック

2021.10.12更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。最近はネット配信で過去の映画を見ることができます。2週間前に「初恋」という日本映画を見ました。上映当時もDVDで見た記憶があります。「3億円事件」を題材にした映画で、タイトルが連想させる恋愛ものではありません。しかし、ラストシーンでヒロインが相手役が残した文庫本の中の日記を目にするとき、初めて「初恋」のタイトルが浮かび上がるというものです。その日記には

 今日 僕は少女に出会った

 少女はまっすぐな眼をして

 まっすぐに僕に言った

 「大人になんかなりたくない」と

 僕は恋をした

 たぶん一生に一度の恋を

 だけどそれは告げることはないだろう

 僕には彼女の眼を曇らせることしかできないのだから

相手役の男性が当時の社会に矛盾を感じ、悪を告発しようとした行動が「3億円事件」に発展するのですが、時代背景からか気持ちを相手に伝えないままヒロインの前から姿を消す。是非はともかく今の時代にないような恋愛だと思いました。自己を抑圧し、他者を大切に思う。そんな風に感じました。数回上記の日記のシーンをみましたが、やさしさが滲み出ていてお気に入りのシーンの一つです。

投稿者: 葉山クリニック

2021.09.02更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。私は、ほぼ毎日、起床、就寝、出勤、食事、仕事、それぞれ同じ時刻にしています。日課とは「毎日、何かを決めてすること」だそうです。日課がきまると決めてするための気力が最小限で済みます。なんとなれば意識せずとも行動しています。苦になることがありません。通勤路では毎日同じ場所、時刻に出会う人、駐車場に止まっている車などほぼ決まっています。人体には体内時計があって身体精神活動の一翼を担っています。その際、予め決まった日課があるとそのために消費するエネルギーは少なく済みます。この日課があることで、私たちの生活に自然とルールが生まれ、自分の秩序を上手にキープ出来ているのかもしれません。しかし、たまに出会うべき人に会わない、あるべき車がない、などの変化があると心配という妄想が立ち起こります。このKaosがあるからこそ人生に変化がでて楽しかったり、苦しかったりするのでしょう。ひっくるめて日課の中に織り込めば、消耗はすくなくなると思います。

投稿者: 葉山クリニック

2021.08.25更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先週早朝、出勤時、玄関から出たときにまだ夜が明けていませんでした。夏至を過ぎ、段々日照が短くなるのは自然の摂理ですが、夏の終わり(心情的に)を実感しました。今年は異例の長雨で晴れの日がお盆になかったことも「夏」を実感せぬまま(個人的感想)、晩夏を迎え、寂しい感じです。残暑はあるでしょうが、すぐ台風シーズンです。「二百十日」(にひゃくとおか)は雑節のひとつで、立春(2月4日頃)から数えて210日目の日で、毎年9月1日頃にあたります。この頃は稲が開花する重要な時期ですが、農作物に甚大な影響を与える台風に見舞われることも多い時期です。そこで、過去の経験から、農家にとっては油断のならないこの日を厄日として戒めるようになったということです。暦が人生と重なるように感じる日々、人生も晩夏なのか、寂しさ倍増します。

投稿者: 葉山クリニック

2021.07.15更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。7/14現在梅雨明けしました。帰宅時車窓越しに大きな入道雲を鮮やかな青い空が視界にはいりました。夏って感じの風景です。それにリンクする心象はやはり子供のころです。朝起きたとき、すでにセミがじーじー泣いており、すぐ、海パンに着替えて、自宅裏の入江に泳ぎにいった記憶です。ほぼ8時間そこで過ごし、ときにはチアノーゼになりながら、甲羅干し、泳ぐをくりかえして時間を過ごした思い出です。その時代も過疎の町でしたが、今はさらに少子化がすすみ、こどもが 泳いでいる姿はもう見ません。中3の夏休み、陽気に誘われ、自宅裏から入江の奥まで遠泳(おそらく3-4km)しました。だれにも告げず、スリッパを揃えて飛び込み、約3時間ひとりで泳ぎ切りました。流石に陸に上がるとき、体がこんなに重かったのかと実感し、何度も海中に落下しながら、ようやく海から 出られたこと、帰りはそのまま裸足でとぼとぼ帰宅したこと、途中隣の電気屋さんが車で追い越し、母にその様子を報告していたこと、など思い出されます。溺れることなど微塵も考えなかったのは驚きです。少しの夏の冒険だった気がします。

投稿者: 葉山クリニック

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