2021.11.17更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。昨年12/25に「虎ノ門ニュース」でTVで御馴染みの武田邦彦先生が講義された事柄です。

人は約60兆個の細胞からできていますが、その個々の細胞がどうやって連携しているか、イワシの「群れ」の端と端がどうやって連絡しあっているか、など不明であり、この説明に「絡合」を使っておられた。人類は「物質」と「情報」のふたつで現象を説明しようとしてきましたが、説明つきませんし、そのふたつだけでは幸せになれません。「絡合」は人の幸福と直接結びついているようです。いままで、敢えて「人」と表記しましたが、やはり「人間」、他者とのかかわりがあってはじめて満たされることが多いと考えます。個では生きていけないものであります。他者とのかかわりで一番、「絡合」がわかるのは、「死、先祖、過去、未来」などとのつながりです。もっと身近なところでは、「会えていない人、もう会わなくなった人」とのつながりです。その存在を考えるときに「絡合」があり、「出会い」「別れ」などすべて絡合です。人間はこの部分が満たされているとに幸福を感じ、そうでないときに孤独を実感する。だから、記憶の中には「つないだ手のぬくもり」がいつまでも残っているのではないでしょうか。

 

 

投稿者: 葉山クリニック

2021.10.12更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。最近はネット配信で過去の映画を見ることができます。2週間前に「初恋」という日本映画を見ました。上映当時もDVDで見た記憶があります。「3億円事件」を題材にした映画で、タイトルが連想させる恋愛ものではありません。しかし、ラストシーンでヒロインが相手役が残した文庫本の中の日記を目にするとき、初めて「初恋」のタイトルが浮かび上がるというものです。その日記には

 今日 僕は少女に出会った

 少女はまっすぐな眼をして

 まっすぐに僕に言った

 「大人になんかなりたくない」と

 僕は恋をした

 たぶん一生に一度の恋を

 だけどそれは告げることはないだろう

 僕には彼女の眼を曇らせることしかできないのだから

相手役の男性が当時の社会に矛盾を感じ、悪を告発しようとした行動が「3億円事件」に発展するのですが、時代背景からか気持ちを相手に伝えないままヒロインの前から姿を消す。是非はともかく今の時代にないような恋愛だと思いました。自己を抑圧し、他者を大切に思う。そんな風に感じました。数回上記の日記のシーンをみましたが、やさしさが滲み出ていてお気に入りのシーンの一つです。

投稿者: 葉山クリニック

2021.09.02更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。私は、ほぼ毎日、起床、就寝、出勤、食事、仕事、それぞれ同じ時刻にしています。日課とは「毎日、何かを決めてすること」だそうです。日課がきまると決めてするための気力が最小限で済みます。なんとなれば意識せずとも行動しています。苦になることがありません。通勤路では毎日同じ場所、時刻に出会う人、駐車場に止まっている車などほぼ決まっています。人体には体内時計があって身体精神活動の一翼を担っています。その際、予め決まった日課があるとそのために消費するエネルギーは少なく済みます。この日課があることで、私たちの生活に自然とルールが生まれ、自分の秩序を上手にキープ出来ているのかもしれません。しかし、たまに出会うべき人に会わない、あるべき車がない、などの変化があると心配という妄想が立ち起こります。このKaosがあるからこそ人生に変化がでて楽しかったり、苦しかったりするのでしょう。ひっくるめて日課の中に織り込めば、消耗はすくなくなると思います。

投稿者: 葉山クリニック

2021.08.25更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先週早朝、出勤時、玄関から出たときにまだ夜が明けていませんでした。夏至を過ぎ、段々日照が短くなるのは自然の摂理ですが、夏の終わり(心情的に)を実感しました。今年は異例の長雨で晴れの日がお盆になかったことも「夏」を実感せぬまま(個人的感想)、晩夏を迎え、寂しい感じです。残暑はあるでしょうが、すぐ台風シーズンです。「二百十日」(にひゃくとおか)は雑節のひとつで、立春(2月4日頃)から数えて210日目の日で、毎年9月1日頃にあたります。この頃は稲が開花する重要な時期ですが、農作物に甚大な影響を与える台風に見舞われることも多い時期です。そこで、過去の経験から、農家にとっては油断のならないこの日を厄日として戒めるようになったということです。暦が人生と重なるように感じる日々、人生も晩夏なのか、寂しさ倍増します。

投稿者: 葉山クリニック

2021.07.15更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。7/14現在梅雨明けしました。帰宅時車窓越しに大きな入道雲を鮮やかな青い空が視界にはいりました。夏って感じの風景です。それにリンクする心象はやはり子供のころです。朝起きたとき、すでにセミがじーじー泣いており、すぐ、海パンに着替えて、自宅裏の入江に泳ぎにいった記憶です。ほぼ8時間そこで過ごし、ときにはチアノーゼになりながら、甲羅干し、泳ぐをくりかえして時間を過ごした思い出です。その時代も過疎の町でしたが、今はさらに少子化がすすみ、こどもが 泳いでいる姿はもう見ません。中3の夏休み、陽気に誘われ、自宅裏から入江の奥まで遠泳(おそらく3-4km)しました。だれにも告げず、スリッパを揃えて飛び込み、約3時間ひとりで泳ぎ切りました。流石に陸に上がるとき、体がこんなに重かったのかと実感し、何度も海中に落下しながら、ようやく海から 出られたこと、帰りはそのまま裸足でとぼとぼ帰宅したこと、途中隣の電気屋さんが車で追い越し、母にその様子を報告していたこと、など思い出されます。溺れることなど微塵も考えなかったのは驚きです。少しの夏の冒険だった気がします。

投稿者: 葉山クリニック

2021.06.25更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。雑節という言葉をご存知でしょうか?雑節は主に農作業と照らし合わせた季節の目安となっており、日本の気候風土に合わせてあるため、長い間に培われてきた知恵と経験の集約です。例えば、節分、節句、八十八夜など。そのなかでも夏至の11日後を半夏生ということを今日初めて知りました。この時期、農作業をしてはいけないという戒めがあり、田植えで疲れた体を休める時期に当たります。また、「タコ」を食べたり、薬草をたべたり、と滋養と静養に努めることを意味する雑節です。くしくも半夏は漢方薬の成分でもあり、主に精神安定に用いられるものです。七夕くらいまではいったん心身ともに充電期間とみなし、働きすぎないようにしたいと思います。

投稿者: 葉山クリニック

2021.06.02更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。この時期、通勤路の傍らにアジサイが群生しているカーブがあります。毎年きれいに咲き、目の保養をさせてもらっていました。しかし、今年は枯れて咲いていません。昨年まで時折見かけたアジサイの手入れをする老婆の姿を見なくなったことと関係しているのか。全く知り合いではない方ではありますが、通勤路で決まった時刻に見かける人々のひとりでした。先日、同級生がなくなったと伝聞がありました。卒業以来、会っていないので、その後の姿は思い浮かばず、卒業時のままを思い出すばかりです。私の死後も、私のことを思い出す方がいてくれると嬉しいですが・・・。

投稿者: 葉山クリニック

2021.04.03更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先日YouTubeで「ホンマでっかTV」に出演されている竹田先生が人間の幸せは「物質」「情報」「絡合」で成立する旨の講義をされていました。確かにその説は他にも散見されます。前2者は理解ができますが、絡合(らくごう)は聞いたことがない言葉でした。字面どおり、係わりあうということです。生物は単細胞で発生し、多細胞生物へと進化します。多細胞生物になり、手も足も目もできたのですが、独りぼっちではうまく生きらず、多細胞生物が集合し、絡み合うことで初めて生きていられるということです。自分はひとりで生きていると言った方がいたとします。あまり周囲には幸せそうには見れないと思いますが本人がそう感じているのならいいのかもしれませんが、多くの方が他者との係わりを欲するように感じ、そこに幸せを感じているように思います。ただし、その係わりで悩んだり、苦しんだり、結果、幸せではないと感じたりもするでしょう。しかしなぜ、絡合するかは不明です。イワシの「群れ」がおおきな魚に対抗して巨大な群れを作るのは防衛本能からということは理解できますが、どうやって群れの両端の個々のイワシは連絡を取っているのかこれも不明です。人間の絡合は複雑でイワシの比ではありません。データ的にも独身の男性は寿命が短いというデータがあります。しかし、形の上で独身でも絡合があれば、その説は履がるでしょう。仁徳天皇の「民の竈はにぎわいにけり」というお言葉も、絡合しなさいという深い意味が込められているそうです。

 

投稿者: 葉山クリニック

2021.03.11更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。3月から4月にかけての季節を「木の芽時(このめどき)」と言うのをご存知でしょうか。
実はこの時期は、昔から「精神的に一番バランスを崩しやすい」と言われているのです。理由の大まかな枠組みは「変化」です。詳細には、気候変化、寒暖差、転勤、入学、卒業、就職、などこの時期生活面でも変化が起きます。人間は、それらの変化に対応するため、自律神経系がフル稼働します。しかし、対応の遅れや対応しきれない場合、精神、身体に不調をきたします。疲れやすい、だるい、やる気が起きない、めまい、動悸、息苦しいなど不定愁訴と言われる多彩な症状を自覚します。多くの方はからだの不調ということで医療機関を訪れ検査します。そして多くのかたが検査上で異常がみとめられないと伝えられます。「なぜ」の疑問に答えがないまま、不安は持続します。答えを求め、次の医療機関を受診します。結果は、異常なし。つまり精神的バランスの乱れからくる症状について臓器各論で検査をしても求める結果は出ないということです。木の芽時の知識があれば、頑張りすぎず、自身のできることだけ実施するようにする。環境になれるまでは誰でも同じなんだ、と考えることです。それでも不安を抱えきれないときは「心の相談」をするようにしましょう。木の芽時は決して悪い季節ではないです。希望に満ちて、これからへの期待でワクワクした楽しい時期として過ごしてください。

 

投稿者: 葉山クリニック

2021.02.12更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。最初に提示した情報が意識の中で固定され、その後の思考が最初の情報から離れられなくなってしまうことがアンカリング効果です。自分の意思で判断しているつもりでも、それは錨につながれたチェーンが届く範囲内で選択しているに過ぎず、錨で固定された最初の情報の枠組みから離れることができません。このように、アンカリング効果には無意識のうちに思考を操作してしまうような強い力があります。物事を判断するには材料が必要です。自分で勉強したこと、メディアから流されるもの、様々あります。でも同時にではなく、ほとんどの場合時差があって、順番があります。このアンカリング効果を知っていないと無意識に自身で認知のゆがみ(バイアス)をかけて判断してしまうものなのです。情報をあつめる行為とそれを判断する行為は分ける必要があります。しばしばこれができないばかりに人間は争います。自分のほうが正しいと主張します。判断するにはそれ以外の知識が必要になります。それが長年の勉強・教育の結果によるのです。自分もかたよっていないか心配ですが、そうなることがあることを意識することで判断を間違わないことにつながると考えています。今回のコロナ感染に関する情報も客観的に整理できれば、と考えています。

投稿者: 葉山クリニック

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