2026.07.23更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。七夕(たなばた)は、中国の七夕(しちせき)に端を発する日本の祭り。織姫と彦星(それぞれこと座のベガとわし座のアルタイル)の伝説に基づき、一年に一度の再会を願う行事です。伝説では、結婚後に牽牛(彦星)と天帝の娘、織姫が仲が良すぎて普段からイチャイチャして仕事を怠ったため天帝の怒りをかったための罰として、天帝が怒って会えなくした。しかしそれからちゃんと働くようになったから1年に1度だけなら7月7日の夜だけ会う事を許し たって言うものです。現代に置き換えると、なんとも親の厳しさが際立った話です。また、天帝の権限が巨大過ぎて恐ろしいとも思います。仲がいいことは決して悪いことではないと思いますが、きっと仕事を退勤するほどの中のよさだったことで、周囲に迷惑がかかったということでしょう。現代では「ライフーワーク・バランス」という言葉があり、仕事はある程度の生活水準が維持できれば、あとの時間を自分のために使う、ということが尊重されています。どうも他者からの評価・評判を基準にするのではなく、自身の評価を重視することへ傾向してきていると考えられます。この価値観は世代間で別れるもので、なかなかその溝は埋まりません。その両方をうまく使い分けできれば、とも思いますが、、。

投稿者: 葉山クリニック

2026.07.02更新

葉山クリニックの撫中です。過去に複数回、与えられた事を喜ぶという場面を多く経験しました。年齢を重ねると、与えられて喜ぶより、与えて喜ぶ側になりなさい、とも聞くようになりました。先日、思いがず、プレゼントをいただきました。有形の形でしたが、予測しない事態にとてもうれしく感じ、数日経ってもまだ、余韻に浸っています。脳内には幸せホルモンと呼ばれる神経伝達物質があり、その中の一つのドーパミンが今回のことに大きく関係しています。ドーパミンは最近の研究では、単にうれしい時に分泌され、うれしいと感じさせるものではなく、「予測誤差を表現する物質」と言われています。今回、予測していなかったので、ゼロから一気に立ち上がったため、誤差が大きく、喜びも一塩だったと考えられます。逆に与える側になった場合、相手の反応がどれほどか、を予測していく経過があり、その予測を上回ったとき、喜び,に代わるのです。ですから、反応が薄い時は、誤差が小さく、期待したほどに与えた側の喜びが得られないことになります。つまり、「せっかくあげたのに損した」という感情が湧くのです。だから、与えるときは自身の感情を押し付けず、与えることのみに満足するというだけに止めたほうが落胆しないのではないでしょうか。しかし、今回は本当に嬉しかったので、「与えられる人で良かった」です。そしてやはり、与える側で今回のような喜びを与える人になりたいです。与えるときはたんに一瞬のひらめきではできず、十分時間をかけて相手のことを考え、実行する過程、背景が存在します。ありがたいことです。感謝いたします。

投稿者: 葉山クリニック

2026.06.24更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。人と人との会話の中で「嘘」は少なからず、存在します。嘘とは、「虚偽性」と「意図性」が合体したもので、意図をもって虚偽の事柄を相手に伝えることであり、相手にとっては後々不利益になることが多くなります。しかし、道を聞かれ、結果、間違った道を教えてしまい、「あ、間違えた。嘘を教えちゃった。」となった時、意図性はありません。つまり、相手をだますつもりがなかったことになります。要するに、「意図性」がなくても嘘ということがあります。さらに、相手を驚かせるために短時間、嘘をつくこともあり、通常、「サプライズ」といいます。ただ、伝えるだけでは感動が薄いので、少し演出を加えて実施するのですが、少しだけ、相手の戸惑った、驚いた表情を楽しむという、やや意地悪さも含まれているような気がします。

 対して、勘違いとは、事柄は虚偽なのですが、意図性がありません。本人が嘘だと思ってないからです。事実でないことを信じ込み、伝えているので悪気はないのですが、本人と相手の事実に相違が生じているので、なかなか擦り合わせが困難です。時に、口論にも発展しかねません。嘘と勘違いは全く違うものですが、日常生活では、嘘をつかれた、言ったことを信じてもらえなかった、といった行き違いの元凶になるものです。嘘も方便と言いますが、相手のためを思って、あるいは良い結果を得るために嘘が必要になるときに使用します。しかし、これでさえ、相手のため、を考えてしたことですが、事実相手のためになったか否か、は相手が決めることで、仇になることもしばしばです。本当に人間の意思伝達は難しいものです。

投稿者: 葉山クリニック

2026.05.27更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。1週間前、田舎から荷物が送られてきました。もちろん、母親からです。荷物を受け取ったことを連絡すると、「お前のへその緒と母子手帳を入れといた。」と。布製の袋に手帳と霧箱が入っていました。母親の中では終活の一つとしての受け渡しだった、と想像しました。この受け渡しは、成人や結婚のときに親から手渡されるなど、節目に親子で振り返るきっかけになります。自分を産んでくれて早67年、長い間保管していたものを手放す気持ちは如何か、想像するに悲哀が込み上げてきます。それに加え、母が子を思う気持ちに改めて感謝したいと思います。母親なら、ほとんどの方が子供のへその緒を持っているようです。日本の慣習の中でも愛情に満ちたいい慣習ではないでしょうか。生まれたときの感動、そして絆、その後の成長、最後に受けわたす、母子だけの厳粛な儀式に思われます。

投稿者: 葉山クリニック

2026.05.14更新

宗像市、葉山クリニックの撫中です。最近、しばしば遭遇することが、「時間の記憶が事実と違う」ということです。どういうことかというと、会話中、「最近、一緒にどこどこに買い物に行った。」と友人がコメントしたとします。しかし、言われた当人には記憶がない。しかも最近、というほどの過去に、そういう事実がない、といったことはよく経験すると思います。そこから記憶をすり合わせて事実確認をします。ここで、問題なのが、最近、ちょっと前、2か月前など、時間経過を表す表現が個別にはかなり差異があるということ、人は忘れやすい(エビングハウスの忘却曲線)ということ、人間には時間を感じる器官がなく、同じ時間を長く感じたり、短く感じたりして、時間の感覚が不正確であること、などから「時間の記憶が事実と違う」ということになります。診療は電子カルテを使用していますので、患者の受診した日付は正確に記録されます。その電子カルテの前ですら、大きく事実と違う記憶が披露されることはまれではありません。自分もふくめて大体過去のあまり重要でない記憶の時間感覚は半分に短縮されて表現されます。つまり1か月前に起こったと表現されるときは、事実は2か月前の出来事、1年まえは2-3年前、というように短縮されます。脳からの記憶の信号が少ないほど、時間が短縮されます。年齢と共に代謝が低下し、信号を発する機会が少なくなると、時間の経過が早く感じるのはこのためだと考えられています。大事な友人とつまらないことで口論にならないためにも、時間感覚は正確ではないということを自覚しないといけないと思う毎日です。

投稿者: 葉山クリニック

2026.05.02更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。誕生日を迎え、67歳となりました。年だけとって、成長は感じられません。逆に、体力、体調は確実に老齢期に達していることを実感します。かといって加齢を憂いているわけではありません。それなりに年相応の高揚感というものもあります。そしてまだ、誕生日をお祝いしてくれる人がいることも幸せだと感じます。夜、「お誕生日おめでとう」と母から電話がありました。90歳の母からのコール。苦労を掛けた記憶が鮮明によみがえり、67歳でも母親の前では子供であることを実感します。

投稿者: 葉山クリニック

2026.03.30更新

葉山クリニックの撫中です。人生を生きる中では、様々な意思決定(決断)をしているはずです。ケンブリッジ大学の研究によれば、言語、食事、交通などの一般的な選択から、身体の動きや日常生活の様々な行動に至るまで含まれ、1日に最大で3万5,000回もの決断を下しているといいます。脳科学的には、1)問題認識 2)選択肢の生成 3)予測と評価 4)選択 が常に実行されています。特に予測と評価においては、前帯状皮質と前頭葉が関与し、ドーパミン(報酬、快楽に関与)という神経伝達物質が関与します。ドーパミンは報酬予測エラーと呼ばれる信号を生成し、予測した報酬と実際の報酬の差を学習することで意思決定を調節しているようです。つまり、その決断が自分にとって損なのか得なのかを評価しているというのだそうです。しかし、その瞬間には決定回避の心理という逆方向の心理も働きます。決断することで、• 他の選択肢を失う• 責任が生じる• リスクを背負うといったマイナス面が脳裏に浮かび、決断を鈍らせます。より完璧を求めて動けない、比較しすぎて迷う、情報を集めすぎて決められなくなります。結局、最後は「思い切り」なのです。ある程度思考した後は、やる気が出るのを待つのではなく、少し動いてみることが大切で、やる気は後からついてくるものです。

投稿者: 葉山クリニック

2026.02.26更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。ともに80歳代のご夫婦が受診されました。妻が数年前に脳卒中で生死を彷徨い、手術、リハビリの結果、数か月前に自宅に帰ってくることができました。その期間、夫がコロナ感染でお見舞いもままならない中、受診の度に妻の安否を気にかける姿を見てきました。「明日、帰ってくる。」と言ったときの、夫の笑顔を忘れることができません。妻は幸い、大きな後遺症もありませんでした。しかし、長期間の病気療養で全く元通りというわけにはいかず、先日、脱水で救急搬送されたことを報告してくれました。傍らで、夫が「無理して歩いて行ったんです。タクシーで行こうといったんですが、、。」と自身を責めるように反省していました。妻は、逆に夫に心配かけないように元気な姿を見せようとしたのですが、思ったほどの体力がなかった、ということでしょう。しかし、迷惑かけないようにしよう、という気持ちからか、夫のいうことを素直に聞かないようでした。私は夫に加勢して行動を自重するように促しました。一連のやり取りが終わり、ご夫婦が診察室を出た後、お互いを思う愛情の深さに、不覚にも涙しました。同時に、この瞬間、この光景に、幸せを感じました。

投稿者: 葉山クリニック

2026.02.14更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。現代において、ヒトは生きにくくなりました。単純に、「食べて寝る」を実現するために、食べ物と探し、採取あるいは自分でつくり育てる、そして摂取することから、間接的に何かの対価を払って取得する(お金など)に変遷し、一次産業の人口は少なくなって、二次、三次産業での働きが多くなりました。どの産業にも知識が必要で、肉体労働と言えど、そこにはコツという理論があります。どの分野にも知的機能(記憶、推論、判断、言語理解、問題解決など)が必要ですが、時に精神の混乱がこれらを妨害することがあります。かなり高度な知的機能の持ち主でもそれは抑制することは容易ではありません。ゲーム理論のナッシュ均衡で知られたノーベル経済学者のジョンナッシュ先生も長年、この精神異常に悩まされました。入院も余儀なくされた中で、彼は研究を成し遂げました。知性と精神が明確に違うものであることを体現して見せました。私など凡人は精神的な状態が知的機能に大いに影響を与え、判断が鈍り、間違うことが多くなります。だから、重い判断をするときは精神の安定があるときに実施した方が間違いを最低限におさえられると考えます。ただ、この精神の安定が実は最も難しい条件となることは自明の事実です。まだまだ、経験、訓練が必要です。

投稿者: 葉山クリニック

2026.01.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。ヒトは、見たものの「好き嫌い」を瞬時(0.5秒から数秒)に判断をします。その後、対象に対する種々の情報からその「好き嫌い」を持続・発展が可能か、それ以上の関係を持続させないか、ゆっくり判断することになります。対象は、人間、物質、事象になります。対象を人間に特化すると、いわゆる「一目ぼれ」がこれに該当します。一目惚れとは、初めて会った瞬間に相手に強い恋愛感情を抱く現象です。これは理性よりも本能が先に反応し、わずか数秒から数分という短い時間で心を奪われる特別な感情です。情動の中枢である扁桃体にはすべての感覚情報が収束し、その反応は理性(大脳皮質)の反応よりはるかに速い速度で判断します。と同時に、いろいろな脳の部分に神経伝達物質を介して出力し、動悸、赤面などの肉体的変化も現れます。おそらく種の保存のために、情動(本能)は存在し、その反応は、脳内報酬物質(ドーパミン)の分泌として、依存的になります。その後の客観的な情報が入ってきてもこの依存性は強く、ネガティブな情報を正当に評価できない状況になります。いわゆる「恋は盲目」というわけです。恋愛における成功はなかなか確率の低いことがわかります。ちなみに一夫一婦制の哺乳類は3~5%だそうです。もちろん人間はこの中には入らない種だと考えますが、いかがでしょうか。

投稿者: 葉山クリニック

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