2019.03.07更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。ジョーンズは、ニュージーランド・オールブラックスで活躍した伝説の名選手です。また、敬虔なキリスト教徒であり、日曜日は安息日なので試合には出ませんでした。1987年および1991年のワールドカップでも、オールブラックスに選抜されていながら、日曜に行われた3試合には欠場しています。当時、私は、国を代表する選手がテストマッチをからだの故障ではないほかの理由で欠場することに釈然としない部分を感じたものでした。しかし、信条、家族などを最優先に考える他国ではごく当たり前のことであるということも事実として知っていました。特に日本人は、個人の信条・家族などを犠牲にして「和」を大切にした行動を美徳としてきた歴史があり、仕事などの都合で「親の死に目に会えない」ことを容認あるいは称賛さえする民族でもありました(もちろん別の意見もありますが)。しかし、昨今は、まず個人、家族を優先し、その次が社会生活という風潮になってきています。ただし、労働環境において、まだまだそれが許される環境にないことも事実で、その後の処遇が不利になることを懸念し、仕事を優先するということがまだまだあります。なかなか難しい問題で、医療の「場」では「仕事」が生命にかかわることなので、家族と仕事の比率がかなり接近したものになります。上述のジョーンズ氏もいくつかの大会において日曜日が大切な試合であると予めわかっているときなどは、代表をはずされていました。これは仕方ないとしても、医療の場での個人の「都合」と「仕事」のどちらかを選択しないといけない場面において、その選択・決定に確かな答えは見いだせないものです。

投稿者: 葉山クリニック

2019.02.14更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。ピグマリオンとは、ギリシャ神話に出てくる彫刻家で、自らが作った女性像に恋をしてその思いが通じ、人間に変えた、という神話の人物です。ピグマリオン効果とは、心理学用語で、期待をかければその期待に添うようになる、という効果のことです。日常診療の患者との会話の中では、患者は提示された治療に少なからず不安を抱くものです。実施者(医師)が治療を提供しますが、その治療に対し、実施者が確信を持てないとその雰囲気は患者に伝わってしまいます。「プラセボ効果」「ノセボ効果」が示すように症状改善の50%はメンタルです。治療の提供は実施者が確信するものを提供する必要があります。実施者が確信するためには 治療に疑いを持たない勉強が必要です。その努力ができることを期待して、諦めないことが大切です(ピグマリオン効果)。

投稿者: 葉山クリニック

2019.01.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。お恥ずかしい話ですが、インフルエンザC型があることを知りませんでした。以下、インターネットから引用しました。

【C型インフルエンザ】
C型インフルエンザは、いったん免疫を獲得すると、終生その免疫が持続すると考えられています。再びかかったとしてもインフルエンザだとは気づかず、ふつうの風邪と思ってしまうかもしれません。

・ほとんどの大人が免疫を持っているため感染しにくい
・かかるのは4歳以下の幼児が多い
・感染してもインフルエンザとしてはかなり軽症で済むことが多い
・症状は鼻水くらい。ほかの症状はあらわれないことが多い

 先日患者から、c型にかかったという報告を受け、完全に否定したところでした。実際、成人した患者でしたし、検査キットで他院で診断した方だったので、C型インフルエンザではなかったと考えます。おそらく、検査キットの「control」のCをC型と思い込んだようです。その後も数人陰性検査を表示したときに「C型ですか?「」と質問を受けました。患者の素朴な疑問を自分の無知で否定したというのは恥ずかしいです。このエピソードで認識を新たにしました。患者は教科書です。今後も学ばせていただきます。

投稿者: 葉山クリニック

2018.12.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。表題は中島美嘉の歌曲です。早朝、新聞受けで、空を見上げた時、星が見えます。しかし、曇っていると見えません。また、夜が明けてくると、「見えない星」になります。星には明るさの程度で1等星から6等星まで分類がされています。紀元前にヒッパルコスという天文学者が恒星を1等星から6等星までの6段階に分け、若干形を変え、視等級として現代でも使われています。自分が何等星まで可視できるのか確認していませんが、「見えない星」を聴くと、今日一日の仕事、今までの仕事の様子など働くこととリンクして充実感と同じくらい悲哀を感じるのです。見える星は夜、見えない星は早朝を感じ、早い時間から起きて仕事するイメージが湧いてくるのでしょう。強いられたことではないのですが、自身の運命、性(さが)を実感するのです。遥か紀元前にも同じ思いを持った小市民がいたことを想像しながら、今日も「見えない星」を聴きました。

投稿者: 葉山クリニック

2018.11.19更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。今まさに筋肉痛です。昨日の運動の後、しばらく経ってからです。運動の「最中」、直後の「筋肉痛」は疲労物質(乳酸)や筋損傷のために起こります。ある程度の負荷がかかり、その負荷を自覚できるから、理解できます。しかし、後日、筋肉痛になるのはどうしてでしょう。その日には体はなんともないのに、遅れて筋肉痛がでます。それは、しっかりと身体を追い込めておらず、中途半端にしか筋肉に刺激が与えられていない場合に、損傷した筋繊維やその周辺組織が回復過程で炎症を起こし、その際に発生する「痛み物質(ブラジキニン、ヒスタミン、セロトニン、プロスタグランジンなど)」が筋膜を刺激し、痛みを伴すことによるのです。つまり、当日、なんともないのは、運動の程度としては、軽かったということで、しかし、損傷は自覚しないところで起こったため、回復過程で「筋肉痛」が起こったのです。多くは その程度の運動しかしていないという「運動不足」が原因です、歳をとると、「筋肉痛が遅れてくる」のではなく、歳をとると、しっかり追い込んだ運動をしなくなるので、「筋肉痛が遅れる」ことになるということです。なるほど、やはり運動は普段から体を追い込み程度にやることが大事。毎日、精神的に追い込まれても「筋肉痛」は起こりませんが、、。

投稿者: 葉山クリニック

2018.10.15更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先日、電車内で、席を譲られました。相手は中学生の女子グループ。爽やかで、好感が持てました。もう還暦なので、中学生から見れば、「おじいちゃん」です。意外にすんなりと状況を受け入れることができました。相手の好意も感じました。自分がおじいちゃんに見えたことも納得です。体調でも悪ければ、すぐにすわったと思いますが、座る理由がなかったので、「ありがとう、でも大丈夫です。」とできるだけ相手の好意に報いるように答えました。事実として、歳をとってるということ、を確認できました。体力など自覚はありますが、社会的な環境のなかで周知したのは初めてできた。「キターーーーーー」って感じでした。

投稿者: 葉山クリニック

2018.10.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。表題のように感じたり、ついつい言葉に出してしまうことが多いように思います。若いときのことはどうだったか、忘れましたが、同じことを言っていたようにも思います。時間を長く感じたり、短く感じたりするのは年齢だけのせいではなく、そのときの時間の過ごし方、充実度合で決まるのではないでしょうか。

 時間を短く感じるとき、1.すごく集中して仕事や勉強、運動などがはかどったとき、2.だらだらと過ごし、結局なにも成果を残せず、もうこんな時間と感じたとき、

 逆に時間を長く感じるときは、1.集中力があって仕事がどんどんでき、終了時に時間を確認したら、まだ、少ししか経過していなかったとき、2.やる気がなくて、時計ばかり気にしてなかなか時間が過ぎないとき。

共通しているのは時間の過ごし方と内容の量的、数的なものの差ではないでしょうか。つまり、新鮮なことが多く、それを次々にこなすときは時間経過が速く、決まりきったことをくりかえすときは長く感じます。あるいは、新しいことが起こる数が少なく、間隔をおいて起こるとその新鮮な出来事は記憶に残りやすく、、思い出すときに時間経過が速く感じます。時間の経過の感じ方は、その時の気持ちに左右されるということでしょう。最近はやはり、変化が少なく、速く感じます。使いたくない言葉ですが、「惰性」で過ごしていることが多いかもしれません。1日、1週間は長く感じ、1年は短く感じます。新鮮なものを探してみたいと思います。(頭をつかうことが肝要)

投稿者: 葉山クリニック

2018.09.14更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。病気の時は大抵、身体的・精神的に苦痛、つまり痛みがあります。それを抑えるために、医師は適切な鎮痛剤を処方します。しかし、痛みと辛さを明確に区別できる人はそれほどいるわけではなく、体性感覚としての痛みはさほどでもないのに、「すごく痛い」と表現されることがよくあります。その場合、鎮痛剤はあまり効果が期待できません。辛さを抑える薬(抗うつ剤)も頻繁に投与できるものでもありません。一方、「楽しいこと」は脳内の神経伝達物質であるドーパミン、エンドルフィンといったものを分泌させます。特に「笑い」はその任としては一番の行動になります。しかし、病気の時、辛い時に「笑えない」ものです。ところが、脳というのは、高次機能をつかさどるものにしては、簡単に欺けるという面も持ち合わせています。だから、「笑う」ふりをするだけで、ドーパミン、エンドルフィンといった快楽、鎮痛物質が分泌されるのです。その効果もモルヒネの数倍という強さを持っているとなれば、無視できません。具体的には、口角をあげることで、脳は「笑っている」と錯覚してくれます。口角をあげることもできない場合は、鉛筆やボールペンなどを咥えることで代用できます。「パッチアダムス」という映画があります。医療現場に「笑い」を持ち込み、見事に患者の苦痛をやわらげた医師の実話です。今では、科学的に笑いの効果が示され、NK細胞を活性化し、抗がん作用もあり、血糖もさげることが示されています。笑いましょう(プライスレス)、笑うふりをしましょう。

投稿者: 葉山クリニック

2018.08.25更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。時々、私は新奇な気持ちになります。私に限らず、どなたも経験されることであるとは思いますが。

最近、それを「素敵」という言葉で感じました。「すてき」って音で聴くと、とても良いイメージが湧いてきます。ところが、文字で改めて見ると「素敵」です。敵という字が言葉の印象とはかけ離れたものとして映りました。語源は諸説ありますが、「素」的なものとして使用されていたところ、そのうえにとても「敵わない(かなわない)」くらい「素」的となり、「素敵」と表記されるようになったようです。また、「奇跡」ということばにも、「好ましい予想以上の出来事が起きた」時に使用することが多く、不運なことにはあまり使用しません。ところが、「奇」はめずらしい、あやしいを意味し、このことはあまり好意的には使用しません。このようにとても印象の良いことばでも改めて、文字で見ると何やら、反対の字があてがわれていたりします。各人の経験などに基づき、元々人それぞれに言葉に対する印象にはちがったものがあると思います。その印象・先入観を1回忘れてみると今回の例のように全く違ったものとして見えることがあります。日々の診療では、マンネリ化することがあり、その時に誤診が発生します。初心忘れるべからず、です。慣れたものほど、新奇な気持ちで、事に当たる、肝に銘じたいと思います。

投稿者: 葉山クリニック

2018.06.29更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先日、胸部レントゲンを患者に説明していた時に、患者のご婦人から「心臓に毛がはえていませんか?」と問われました。もちろん冗談です。「心臓に毛が生える」とは、厚顔無恥、厚かましいなどの意味で使用されます。でも厚かましいことを表現するのに、「心臓」でしかもなぜ「毛をはやすのか」。毛をはやすのは、なにか一つプラスすることで、増強する意味です。心臓は生命の源を象徴をした部位として選ばれたと言われています。

胴や胸を防護する武具の鎧にしても鉄や練り皮で作った小板を横に重ねて編んだ縅おどし毛で相手を威嚇していたようで、ここでも毛深いことを勇猛であることにつなげています。このように、心臓に毛が生えたとか心臓に毛を生やすといった表現も、毛深い豪族や鎧の毛の示す勇猛果敢さにあやかって生まれ、現代になって物事に動じない心や厚かましい態度といった意味になったものと思われます。先のご婦人は決して「厚かましい」方ではありませんでした。もちろん、心臓に毛が生えてはいません。しかし、「厚かましい」方に同じ質問を受けて時、レントゲン上、心臓に毛が生えている、と読影し、伝えてしまう自分が浮かび、「心臓に毛が生えている」のは自分やな、と気づきました。「口にチャック」です。

投稿者: 葉山クリニック

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