2023.10.27更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。9月に中秋の名月を見ました。その日は、夕方東の空の低いところに暁の月がきれいに見れました。何台かの車が路肩に停車し、写真を撮っていました。地球の衛星である「月」は当たり前のように夜空に見え、星としての意識が日頃、ありません。しかし、「月が地球から離れていっている。」という事実を聞いたとき、いつか、軌道の外に出てしまい、離れ離れになるのか、という疑問が湧きました。調べてみると、現在、月は地球から、年に約3センチメートル程度の速さで離れつつあるとのことです。しかし、地球の自転速度が月の公転速度より速い場合に遠のき、地球の自転速度が月の公転速度と同じになったとき、そこで月が地球から離れていくのも止まるであろうと考えられてるそうです。現在でも。月の公転は楕円形で月と地球の距離は一定ではありません。同じ満月でも大きさが違って見えます。45億年かけて現在の姿ですので、この先数十億年経たときに離れるのが止まっても、公転が楕円であれば、その時にも月の大きさは違ってみえることになります。もちろん、私は、存命ではありませんが、未来の人も、同じ現象は見るでしょう。時間の積分、と私個人の人生の長さ(微分)を思うとき、「生きる」ことがどういう意味をもつのか、大きな疑問です。ただし、嫌な疑問ではないです。いろいろな可能性がある疑問です。

投稿者: 葉山クリニック

2023.10.15更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。何か哲学的な表題ですが、そんな大それたきもちはありません。辞書でどう定義されているか、というと、運が良いこと、人にとって望ましいこと。不満がないこと、などのように表記されていました。前述した定義では、不十分な気がします。人生には時間軸が存在し、この時間が「幸せ」にとって重要ではないでしょうか。短期間であれば、「幸せ」を感じることは、だれしも一度や二度はあると思います。逆に長く常に「幸せ」であることも困難であるようにも思います。やはり「幸せ」である時間の積分(幸せの大きさ×時間)が多くなることが、実感として、「幸せ」と感じることになるのかな、と。その「幸せ」の時間を構成する要素の中に、関わりあう人、があります。気に入らない人と過ごす苦痛を考えると、好ましい人と一緒に過ごすことが「幸せ」の形のひとつか、と考えます。

投稿者: 葉山クリニック

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