2025.04.18更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。今、日常的に、「先生」と呼ばれています。先生とは、学問や技術・芸能を教える人。学識のある人や指導的立場にある人。親しみやからかいの意を含めて他人をよぶこと。年長者。教師・師匠・医師・議員などの職業に就いた人が多くの場面で呼ばれる呼称です。同じ立場の場合、お互いを「先生」と呼ぶこともありますが、この場合、もう一つ年齢や経験などの条件が加味され、上位にいる人は下位の者に「先生」とは言わないこともあります。つまり「先生」とよばれるには見合う実力が必要だということです。私の狭い経験では、医師としての初日、病棟で、初めてスタッフから、「先生」と呼ばれ、むずむずした感じを覚えました。決して心地いいものではありませんでした。自身で、「先生」と呼ばれる資格がないことを自覚していたからです。ある日突然、「先生」と呼ばれ、その呼称に見合う責任と仕事内容を要求されます。そのギャップは果てしなく大きいものでした。実際、「怖い」と感じました。その後は、「先生」に見合う実力・経験・知識を身に着けるように努力・精進しました。しかし、未だにこれで終了という到達点は見えず、むずむずした感じは時間経過とともになれてしまい、なくなりましたが、「怖い」は折に触れ、感じています。小学5年生の家庭訪問で担任の〇村先生が、「〇〇高校にいって、東大に行かせなさい。」と母親に話しているのを傍らで耳にした私は初めて「先生」と呼ばれる職業を意識しました。しかし、田舎の漁師町のひとり漁業の家庭にはなかなか遠い話にしか思えませんでした。ただ、その時に〇村先生が示してくださった「可能性がある」ということを知ったことが意味ある事だったと思います。

投稿者: 葉山クリニック

2025.04.18更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。今、日常的に、「先生」と呼ばれています。先生とは、学問や技術・芸能を教える人。学識のある人や指導的立場にある人。親しみやからかいの意を含めて他人をよぶこと。年長者。教師・師匠・医師・議員などの職業に就いた人が多くの場面で呼ばれる呼称です。同じ立場の場合、お互いを「先生」と呼ぶこともありますが、この場合、もう一つ年齢や経験などの条件が加味され、上位にいる人は下位の者に「先生」とは言わないこともあります。つまり「先生」とよばれるには見合う実力が必要だということです。私の狭い経験では、医師としての初日、病棟で、初めてスタッフから、「先生」と呼ばれ、むずむずした感じを覚えました。決して心地いいものではありませんでした。自身で、「先生」と呼ばれる資格がないことを自覚していたからです。ある日突然、「先生」と呼ばれ、その呼称に見合う責任と仕事内容を要求されます。そのギャップは果てしなく大きいものでした。実際、「怖い」と感じました。その後は、「先生」に見合う実力・経験・知識を身に着けるように努力・精進しました。しかし、未だにこれで終了という到達点は見えず、むずむずした感じは時間経過とともになれてしまい、なくなりましたが、「怖い」は折に触れ、感じています。小学5年生の家庭訪問で担任の〇村先生が、「〇〇高校にいって、東大に行かせなさい。」と母親に話しているのを傍らで耳にした私は初めて「先生」と呼ばれる職業を意識しました。しかし、田舎の漁師町のひとり漁業の家庭にはなかなか遠い話にしか思えませんでした。ただ、その時に〇村先生が示してくださった「可能性がある」ということを知ったことが意味ある事だったと思います。

投稿者: 葉山クリニック

2025.04.03更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。昨日、April foolの嘘もつきにくくなった、と感想を述べたのですが、午後診療で、患者から予想だにしないことを言われました。「先生、ビニールテープは貼っても咳が止まりませんでした。」と、???。1か月前に、咳が止まらず、息苦しいと訴えた患者に気管支拡張の貼付剤を処方していました。その際、薬剤の「プラセボ効果」について説明し、有効な薬剤が含まれていなくても、約半数のヒトは自覚症状が改善するんだという趣旨のことを話し、だから、「ビニールテープでも効きますよ。」というコメントをしたようです。私は全く記憶がなかったのですが、スタッフが経緯を記憶していました。患者は貼付剤終了の後、ビニールテープを真面目に貼ったのでした。これで、冒頭のコメントになったのです。いやはや、冗談のつもりでしたが、患者は大真面目に実行。けっして責められない事柄でした。それほど医師の言葉は重いということを実感した一件でした。幸い患者は笑顔で、その場はふたりして大笑いでした。

投稿者: 葉山クリニック

2025.04.02更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。昨日、April fool でした。残念ながら、嘘をつきませんでした(それが嘘だという指摘もありますが)。嘘を考える時間的余裕がなかったのでした。昔から、マス・メディア(新聞、ラジオ、など)もウィットにとんだ嘘をついたものでした。それを真に受けた海外の報道機関も真面目に報道したような時代もありました。それらも含め、冗談で済まされていたものでしたが、最近のアメリカ大統領選挙のころから、フェイクニュースが増加して冗談ではないものが散見され、真実と偽るニュースが混在するようになり、April foolがでの冗談である嘘が減少したように感じます。冗談はひとを和ませるものですが、冗談には聞こえない時や、相手によっては侮辱と感じさせることもあり、軽々に冗談も言えなくなってきました。開業時に「診察の中で一笑いさせる」という目標を掲げていたのですが、実行も難しく、たとえ冗談言えたとしても、はたして真意が相手に届いたか否か、不安になる毎日です。しかし、時々、先生は面白いことをいう、といわれることもあり、リスクをおかして挑戦し続ける毎日です。

投稿者: 葉山クリニック

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