2024.10.24更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。イワシの群れで動く様はきれいと感じていました。しかし、大きな群れの両端にいるイワシはどのように意思伝達し、同じ動きをするのか不思議でした。この現象はイワシの本能に組み込まれた単純な3つのルールで再現できることがわかってきたようです。。

(1)周囲の仲間と適度な距離を保つ
(2)進む方向、スピードを合わせる
(3)仲間がたくさんいる方向へ向かう

さらに、動ける空間の広さにより、漂うだけから、回遊、直線的な動きなどが決まってくるようです。人間がマスゲームなどするときには、予めプログラムされた動きを個々が入力し、さらにリーダーが号令をかけ、練習を重ねて、統制ある動きを完成します。しかし、イワシにはリーダーもおらず、練習もせず、ぶっつけ本番ですぐ完成された群れとなります。逆に意思伝達の手段が単純で、人間のように個々の大脳が発達した場合、個々の判断が統制を乱すことになるのかもしれません。統制をとるための意思が一つであれば、集団が形成されやすく、大きな力となることは必然です。政治、宗教などそうやって集団となり、一つの方向に向かって進むことで幸福を実現しようとしてきました。時には、カリスマ性のあるリーダーの意思に引っ張られ、あらぬ方向へ行くことも歴史上、見られました。人間はイワシと違い、個々が判断するため、完全な群れは長期的には困難です。でもそれがリスクの回避になっているのでしょう。考えることをしなくなった人間(指示待ち)は来世イワシになるのではないでしょうか?

投稿者: 葉山クリニック

2024.10.23更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。以下は孔子の論語の有名な一節です。

子曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。

あくまで孔子自身がこうであったということです。そして、七十という年齢で、孔子は「心の欲する所に従って思うままにふるまっても、道をはずれなくなった。」と言っています。私は65ですが、他人のいうことに耳を傾けることも、思うままにふるまい、道をはずれないこともありません。これらは自己の価値観が同じであれば、達成できますが、価値観が違えば、評価されません。しかし、評価されるために自身の価値観を抑圧して行動することももはやできない年齢かもしれません。まず、自身の「正義」を定めること、その信条に沿い、行動すること、それで結果、評価されないこと、を恐れないこと。すべての人に評価・共感を得ようとしないこと、だと思います。常識は共通したものでないこと、を痛感する日々です。

投稿者: 葉山クリニック

2024.10.15更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。表題は「魂が再び肉体に入ること」を指しています。小説や映画などで、生まれ変わり、魂の入れ替わりが題材になってきました。在りもしないことではないから、人々は想像し、物語を綴るのかもしれません。生まれ変わりは別の肉体に、過去に存在した精神(人格)が宿るというのが通常です。ほぼ人間の間でのやり取りですが、ときには、他の動物や植物、風景にそれを重ねることもあります。実際、人格(意識)と肉体が入れ替わるわけですから、それぞれが分離することが必要です。でもよく考えると、毎日、わたしたちは、寝ています。この時、意識はありません。肉体のなかに潜んでいるのか、分離して、非物質世界に存在するのか不明です。分離していたとしても目覚めと同時に、再びもとの肉体に戻ってきます。厳密には、もとの肉体ではなく、複数個の細胞が新陳代謝により、入れ替わった肉体です。こう考えると、わたしたちは毎日、生まれ変わっているのかもしれません。長い年月のなかで、肉体は経時的変化(老い)により、変遷するものの、目覚めとともに帰ってくる意識はそれまでの過去のものであって、決して未来の意識が返ってくることは現実にはありません。換言すると、「老い」も生まれ変わりと思えば、毎朝、違う自分に出会えて新鮮かもしれません。

投稿者: 葉山クリニック

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