2018.04.11更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。表題のあげること、もらうことについて、対象となるものによっては、どちらも喜びを感じることができる行為です。単純に物質(プレゼント)をあげる、もらうそれぞれが喜びを感じることができます。しかし、その逆もありで、あげるのが嫌なとき、もらって困るときもあります。ところで、思いやりはどうでしょうか?思いやる行為はあげる側の行為ですが、もちろん思いやられる側は嬉しいことが多いでしょう。しかし、「思いやりがない」という言葉の多くは受け取り側からの言葉で、思いやりをもらえなかった、というときに発せられる言葉です。「思いやり」は受け手側から、はたして要求してよいものでしょうか?「思いやられて当然」と考えているから、それがない時、「思いやりがない」と感じるわけですが、それこそ、その考えそのもが「思いやりに欠ける」とは思わないですか?随分前に聞いたことで、もらって喜ぶより、あげて喜ぶひとになりなさい、と言われたことがあります。思いやりももらえないことに苦言を呈するより、やはり、思いやる側に立ちたいです。ただし、鈍感ではできないですし、思いやることを押し付けてはもはや思いやりではなくなりますし、とても難しい贈り物です。

投稿者: 葉山クリニック

2018.03.08更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先日、診察中に患者の口から「藪医者」という言葉を聞きました。前医の医療行為に対して発した言葉でした。ネット検索してみると、藪医者の語源については、諺「藪をつついて蛇を出す」(余計なことをしてかえって事態を悪化させてしまう)からとする説、似て非なる物に「薮」の字を冠するところからとする説や、野巫(やぶ)を語源とする説もある。また、腕が悪くて普段は患者の来ない医者でも、風邪が流行って医者の数が足りなくなると患者が押し寄せ忙しくなることから、「カゼ(風)で動く=藪」という説もある。「藪のように見通しがきかない」医者という説も存在し、この説に基づき、藪以下の全く見通しのきかない未熟な医者を「土手医者」と呼ぶこともある。また藪医者以下のひどい医者のことは、「やぶ医者にも至らない」「藪にも至らない」という意味を込めて「筍(たけのこ)医者」と呼ぶこともあるとのこと。松尾芭蕉の弟子だった森川許六が編んだ『風俗文選』によると世の中で「薮医者」という表現は、本来名医を現す言葉であって、今言われている下手な医者のことではないのだそうです。いつごろの時代であろうか。ある名医が但馬の養父(やぶ)という所にひっそりと隠れるように住んでいて、土地の人に治療を行っていました。その評判は広く各地に伝わり、多くの医者の卵が養父の名医の弟子となりました。養父の名医の弟子と言えば、病人もその家人も大いに信頼し、薬の力も効果が大きく、「養父医者」は名医のブランドでした。しかしこのブランドを悪用する者が現れました。大した腕もないのに、「自分は養父医者の弟子だ」と口先だけの医者が続出し、「養父医者」の名声は地に落ち、いつしか「薮」の字があてられ、ヘタな医者を意味するようになったのではないか、という説などがあります。
 私も過去に4-5回「藪医者」と言われたことがあります。いずれも意思疎通の欠如から生じたことだと考えています。今後、何回「藪医者」と言われるか、わかりませんが、できる限り少なくしたいと思います。

投稿者: 葉山クリニック

2018.02.27更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。最近、私に親しみのある俳優さんの訃報が続いています。親しみのある理由は簡単で若い時から知っているということ、つまり同世代、あるいは同じ時代を生きたということです。亡くなった時の年齢がほぼ現在の私の年齢だったり、すごく近かったりします。自分の年齢はもちろんわかりますが、他者の訃報で「死」という事態が逆に切実さをもって感じられます。もう他人ごとではない、と。「死」について、恐れや不安はそれほど感じませんが、そろそろ準備が必要なのか、と考えます。いわゆる「終活」。と言っても、財産もなく、特に整理すべきことはないのですが、、。永遠の眠りとよく言いますが、「死」はそうかな、感じます。毎晩、眠りにつきますが、睡眠の時、「自我」はどこにあるのか、それすらわからず、感じることもできず。やはり寝ているときの意識が「死」なるもののような気がします。寝ること=死であれば、やすらかなのですが、。その途中に「苦」があるかもしれません。とにかく、残りには限りがあるということがはっきり自覚できる昨今です。

投稿者: 葉山クリニック

2018.02.07更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。言葉や身振りを介さず、意識の中で思考をやりとりすることをテレパシーと呼びます。いわゆる超能力の領域です。科学的な実験もなされていて受診者と送信者の間でその思考の内容の一致をみるというものです。特に受信者が睡眠中に送信者から送られた画像を忠実に再現するという試みは再現性も高く、評価されています。量子力学の世界では、量子のもつれという現象があります。「量子もつれ」とは、2つの量子が何の媒介もなしに、遠隔作用をもたらし同期する不可解な現象で、近年では超高速通信を可能にする「量子コンピュータ」としての利用が研究されている。送信者の思考が量子レベルで受信者と同期することで、夢に影響を及ぼしたというわけで、まだ仮説の域を出ない理論ではありますが、多くの物理学者が量子論の観点から人間の意識を研究しているそうです。
ただし、言葉でも伝えたい真意が伝わらず、誤解を生むことは数多く経験します。テレパシーでの会話が言葉での会話と異質で、真意も伝わり、誤解を生まないものであれば、と思いますが、逆に悪意の真意を伝わるとなれば、困ったことになります。悩ましいです。

投稿者: 葉山クリニック

2018.01.17更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。1年の計は元旦にあり。新年の誓い。年明けにリセットし、新しい年に向かう習慣はマンネリ化を防ぎ、新奇な感覚を思い出させるのに適しています。しかし、今年は残念ながら、年末ぎりぎりまで仕事があり、何となく年を越してしまいました。

  ふゆつばめ

  み空は飛ばず

  よごれ宿

俳句を詠んでみました。昨今の冷え込んだ空気ではなかなか明るいイメージは沸いてきません。しかし、やはり「初心忘れるべからず」でしょう。初心は文字通り初心ですが、加えてその時々の気持ちも含んでいると考えます。慣れてはいけないことだと思います。医療にも人生にも。

投稿者: 葉山クリニック

2017.12.28更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。12月22日は冬至でした。「一年で最も昼間の時間が短い日」です。日照時間は約9時間45分だそうです。因みに夏至との差は約5時間あります。自宅を出るとき、帰るとき、いずれも星を見ながらになります。数日しか経過していませんし、実質的に日照時間もそれほど延びてはいませんが、これから夏至まで徐々に昼間が長くなると考えると、気分が上がります。同じ日本でももう少し緯度の高い地域ではさらに日照時間は短くなります。とすると、気分の上がる程度が低くなるのかな、と思ったりもします、そんな単純な人間は私くらいなものでしょうが、、。日照時間が長いというのは単純に「有難い」を秋田に短期滞在していた時に実感したのを思い出しました。それに5時間長いと楽々、ゴルフを1ラウンドできるというのは嬉しいです。

投稿者: 葉山クリニック

2017.12.20更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。12月、師走です。師走は当て字で、語源は以下の通り諸説あり、正確な語源は未詳であります。 師走の主な語源説として、師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する「師馳す(しはす)」があります。つまり、忙しくて奔走することから、来ています。ただし、産業別、職種によってその忙しさの程度には差があるようです。こと医療に関しては、疾病発症、病態の急変など、師走だからといってリンクしていません。医療従事者も年末年始の営みをするために、「マンパワー」が不足し、従事しているものは確かに「忙しい」となるかもしれません。忙しいと、病気は密接につながっていて、ストレスが重なったり、やるべき治療をする機会を逸したり、とマイナス面が多いかもしれません。一方、商売では忙しいは嬉しいことになります。しかし、いずれも限界があり、それを超えると忙しいは、マイナスになります。おそらく平時の考え、判断ができなくなるくらい余裕がなくなることがその限界点ではないでしょうか。「忙しい」はこころをなくす、と書きます。こうなる前に「忙しい」の「程度」を制御することが大切なことだと考えます。

投稿者: 葉山クリニック

2017.11.22更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。昨日朝はほうきを持つ指が凍え、今日は、枯れ葉がほとんどありませんでした。本格的な冬の到来を感じます。この時期、風邪をひく機会が多くなります。そこで、予防接種を含め、注射を打つことも多くなります。患者さんは、注射を打つ前から、「痛がっています」。からだに力を入れ、針から少しでも身を遠ざけようとします。わずかな抵抗ですが、できる限り「痛くない」ように注射をするように工夫して試行錯誤してきました。結論は、「痛くない」注射はないです。しかし、「今までで今日の注射が一番痛くなかった」と」言われるようになりました。100人に一人くらいは注射したことがわからなかったという人もいます。偶然、皮膚の痛点を避けることができたのでしょう。痛点は見えませんから、あくまで偶然です。20年前に、某企業が「痛くない針」の開発に着手したことが当時の日本工業新聞に載っていました。要約すると、「蚊」が刺すほどの細い針を開発したのです。確かに、刺したことすら感じない。そんな針でした。しかし、普及しなかった。採血や、薬液の注入には細すぎて役に立たなかったからです。今後も、「居合刀」を極めるごとく、「痛くない」ように注射することを追求していきます。一番効果があるのは、とさくさ紛れに打つ、これも「痛くない」コツです。

投稿者: 葉山クリニック

2017.11.08更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。表題の通り、オリオン座の左下に配するひと際輝く恒星を持つ星座「おおいぬ座」。ここ2週間、明け方(まだ明ける前)オリオン座がやや西の空に確認でき、その隣にある星座はなんていうのか、気になっていました。やっと調べてわかりました。その名前ですぐに思いついたのが、飼い犬のことで、彼は、16歳の老犬で、ここ2週間深夜、2時、4時に鳴きます。すでに人間でいうと80歳くらいで、昼夜逆転が起こっていて、その都度、下顎を撫でてやると鳴き止むのですが、毎晩、起きるのが、辛いです。そろそろ寿命の末期であり、お別れが近いのですが、その時の心構えは全くできておらず、実感がありません。すでに自分も人生の老齢期にはいり、いろいろ体のメンテナンスも必要で、なぜか、この星座のことで、「介護」が身近に感じられたという話でした。因みにひと際輝く恒星は「シリウス」で太陽の次に明るい星だと知りました。

投稿者: 葉山クリニック

2017.10.14更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。ここ1か月ほど、朝仕事をしながら、「RED」rlung(Yasunobu Matsuo)というピアノ演奏のアルバムを聴いてます。音楽、ましてや歌謡曲以外の演奏など興味がない私でしたが、ふと耳にしたのがきっかけでCDを買い求めました。どんなことが起こるかわからない、まさにKAOS(カオス)です。カオスは、特定の規則や微分方程式に従う系に生じる、不規則で乱雑な予測不可能な挙動、と定義されていますが、日常生活では、いままでに起こったことがないことが起こったりすることで実感できます。嫌いだったものが意外と好きになったり、突然なにかを始める気になったり、です。しかし、こと病気の範疇では、カオスは人々を「恐怖・不安」に陥れるものです。「こんなこと今までになかった」とか、「今回はいままでの症状と違う」といったコメントをされます。予測できる範囲で人生が展開されれば、安心ですが、カオス、予想不可能なことが起こったときに不安になるのです。しかし、予想不可能なことが起こらないと予想することのほうに無理があると思います。予測不可能なことは起こります。だから、予測不可能なことが起こる、ということを予め想定しておけば、病気であっても、余分な不安・恐怖は大きくならないと思います。一番確実な「死」を人は予定していないことが多いです。この確実な現実を予定していれば、それ以上の不安などないように思えるのですが、、、。

投稿者: 葉山クリニック

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