2018.11.19更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。今まさに筋肉痛です。昨日の運動の後、しばらく経ってからです。運動の「最中」、直後の「筋肉痛」は疲労物質(乳酸)や筋損傷のために起こります。ある程度の負荷がかかり、その負荷を自覚できるから、理解できます。しかし、後日、筋肉痛になるのはどうしてでしょう。その日には体はなんともないのに、遅れて筋肉痛がでます。それは、しっかりと身体を追い込めておらず、中途半端にしか筋肉に刺激が与えられていない場合に、損傷した筋繊維やその周辺組織が回復過程で炎症を起こし、その際に発生する「痛み物質(ブラジキニン、ヒスタミン、セロトニン、プロスタグランジンなど)」が筋膜を刺激し、痛みを伴すことによるのです。つまり、当日、なんともないのは、運動の程度としては、軽かったということで、しかし、損傷は自覚しないところで起こったため、回復過程で「筋肉痛」が起こったのです。多くは その程度の運動しかしていないという「運動不足」が原因です、歳をとると、「筋肉痛が遅れてくる」のではなく、歳をとると、しっかり追い込んだ運動をしなくなるので、「筋肉痛が遅れる」ことになるということです。なるほど、やはり運動は普段から体を追い込み程度にやることが大事。毎日、精神的に追い込まれても「筋肉痛」は起こりませんが、、。

投稿者: 葉山クリニック

2018.10.15更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先日、電車内で、席を譲られました。相手は中学生の女子グループ。爽やかで、好感が持てました。もう還暦なので、中学生から見れば、「おじいちゃん」です。意外にすんなりと状況を受け入れることができました。相手の好意も感じました。自分がおじいちゃんに見えたことも納得です。体調でも悪ければ、すぐにすわったと思いますが、座る理由がなかったので、「ありがとう、でも大丈夫です。」とできるだけ相手の好意に報いるように答えました。事実として、歳をとってるということ、を確認できました。体力など自覚はありますが、社会的な環境のなかで周知したのは初めてできた。「キターーーーーー」って感じでした。

投稿者: 葉山クリニック

2018.10.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。表題のように感じたり、ついつい言葉に出してしまうことが多いように思います。若いときのことはどうだったか、忘れましたが、同じことを言っていたようにも思います。時間を長く感じたり、短く感じたりするのは年齢だけのせいではなく、そのときの時間の過ごし方、充実度合で決まるのではないでしょうか。

 時間を短く感じるとき、1.すごく集中して仕事や勉強、運動などがはかどったとき、2.だらだらと過ごし、結局なにも成果を残せず、もうこんな時間と感じたとき、

 逆に時間を長く感じるときは、1.集中力があって仕事がどんどんでき、終了時に時間を確認したら、まだ、少ししか経過していなかったとき、2.やる気がなくて、時計ばかり気にしてなかなか時間が過ぎないとき。

共通しているのは時間の過ごし方と内容の量的、数的なものの差ではないでしょうか。つまり、新鮮なことが多く、それを次々にこなすときは時間経過が速く、決まりきったことをくりかえすときは長く感じます。あるいは、新しいことが起こる数が少なく、間隔をおいて起こるとその新鮮な出来事は記憶に残りやすく、、思い出すときに時間経過が速く感じます。時間の経過の感じ方は、その時の気持ちに左右されるということでしょう。最近はやはり、変化が少なく、速く感じます。使いたくない言葉ですが、「惰性」で過ごしていることが多いかもしれません。1日、1週間は長く感じ、1年は短く感じます。新鮮なものを探してみたいと思います。(頭をつかうことが肝要)

投稿者: 葉山クリニック

2018.09.14更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。病気の時は大抵、身体的・精神的に苦痛、つまり痛みがあります。それを抑えるために、医師は適切な鎮痛剤を処方します。しかし、痛みと辛さを明確に区別できる人はそれほどいるわけではなく、体性感覚としての痛みはさほどでもないのに、「すごく痛い」と表現されることがよくあります。その場合、鎮痛剤はあまり効果が期待できません。辛さを抑える薬(抗うつ剤)も頻繁に投与できるものでもありません。一方、「楽しいこと」は脳内の神経伝達物質であるドーパミン、エンドルフィンといったものを分泌させます。特に「笑い」はその任としては一番の行動になります。しかし、病気の時、辛い時に「笑えない」ものです。ところが、脳というのは、高次機能をつかさどるものにしては、簡単に欺けるという面も持ち合わせています。だから、「笑う」ふりをするだけで、ドーパミン、エンドルフィンといった快楽、鎮痛物質が分泌されるのです。その効果もモルヒネの数倍という強さを持っているとなれば、無視できません。具体的には、口角をあげることで、脳は「笑っている」と錯覚してくれます。口角をあげることもできない場合は、鉛筆やボールペンなどを咥えることで代用できます。「パッチアダムス」という映画があります。医療現場に「笑い」を持ち込み、見事に患者の苦痛をやわらげた医師の実話です。今では、科学的に笑いの効果が示され、NK細胞を活性化し、抗がん作用もあり、血糖もさげることが示されています。笑いましょう(プライスレス)、笑うふりをしましょう。

投稿者: 葉山クリニック

2018.08.25更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。時々、私は新奇な気持ちになります。私に限らず、どなたも経験されることであるとは思いますが。

最近、それを「素敵」という言葉で感じました。「すてき」って音で聴くと、とても良いイメージが湧いてきます。ところが、文字で改めて見ると「素敵」です。敵という字が言葉の印象とはかけ離れたものとして映りました。語源は諸説ありますが、「素」的なものとして使用されていたところ、そのうえにとても「敵わない(かなわない)」くらい「素」的となり、「素敵」と表記されるようになったようです。また、「奇跡」ということばにも、「好ましい予想以上の出来事が起きた」時に使用することが多く、不運なことにはあまり使用しません。ところが、「奇」はめずらしい、あやしいを意味し、このことはあまり好意的には使用しません。このようにとても印象の良いことばでも改めて、文字で見ると何やら、反対の字があてがわれていたりします。各人の経験などに基づき、元々人それぞれに言葉に対する印象にはちがったものがあると思います。その印象・先入観を1回忘れてみると今回の例のように全く違ったものとして見えることがあります。日々の診療では、マンネリ化することがあり、その時に誤診が発生します。初心忘れるべからず、です。慣れたものほど、新奇な気持ちで、事に当たる、肝に銘じたいと思います。

投稿者: 葉山クリニック

2018.06.29更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先日、胸部レントゲンを患者に説明していた時に、患者のご婦人から「心臓に毛がはえていませんか?」と問われました。もちろん冗談です。「心臓に毛が生える」とは、厚顔無恥、厚かましいなどの意味で使用されます。でも厚かましいことを表現するのに、「心臓」でしかもなぜ「毛をはやすのか」。毛をはやすのは、なにか一つプラスすることで、増強する意味です。心臓は生命の源を象徴をした部位として選ばれたと言われています。

胴や胸を防護する武具の鎧にしても鉄や練り皮で作った小板を横に重ねて編んだ縅おどし毛で相手を威嚇していたようで、ここでも毛深いことを勇猛であることにつなげています。このように、心臓に毛が生えたとか心臓に毛を生やすといった表現も、毛深い豪族や鎧の毛の示す勇猛果敢さにあやかって生まれ、現代になって物事に動じない心や厚かましい態度といった意味になったものと思われます。先のご婦人は決して「厚かましい」方ではありませんでした。もちろん、心臓に毛が生えてはいません。しかし、「厚かましい」方に同じ質問を受けて時、レントゲン上、心臓に毛が生えている、と読影し、伝えてしまう自分が浮かび、「心臓に毛が生えている」のは自分やな、と気づきました。「口にチャック」です。

投稿者: 葉山クリニック

2018.06.23更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。6/21は夏至でした。日長時間が最も長い日です。個人的には夏が好ましい季節というおもいが年々増しています。しかし、実際には夏至を迎えるとなんだか夏がおわった感覚になってしまうのです。つまりその日を境にその後、日長時間が徐々に短くなることを思って、好きな夏がおわると短絡してのことだと思います。実際には一般的にこれから2-3か月暑い日々が続くのですが、、、。「うつ」?冬うつというのはよく聞きます。医学的にも日長時間を夏並みに逆転させて治療した論文もあり、日長時間は「うつ」に関連しているようです。夏至の時期、確かに「日長時間」は長いのですが、梅雨と重なり、日照時間は必ずしも長くなく、曇り空は何となく、寒くはないですが、「冬空」なのでしょうか?この時期「半夏」という薬草が育つと聞きます。半夏は「精神安定」作用があり、漢方の主力成分のひとつです。一般的ではない「夏が終わると、寂しい」感覚を半夏餅でも食べて癒したいと思います。

投稿者: 葉山クリニック

2018.06.12更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。患者のことを英語でpatient、「patient」は、形容詞であり、「我慢強い、辛抱強い、忍耐強い」という意味です。つまり、英語のpatientは、「我慢する人間」に由来します。患者が我慢するものの代表は「痛み」です。『 pain』・西洋の「痛み」を表す言葉は、語源的に「罪に対する罰」の意味を有しています。「penalty (刑罰)」「punishment (処罰)」という言葉も、これから派生してきた言葉です。西洋人は、古くから体の痛みを人間の罪に対する神の罰として捉えました。 しかし、病気になることは「罪・罰」ではないことは明白です。従って、「我慢する人」でいることはないのです。最近では、医療において患者の権利を中心に「我慢するのではなく、主張・要求することが当たり前になってきました。「患者の人権」を最大限尊重しているアメリカの病院では、患者はもはや「patient」ではなく「client」と呼ばれつつあり、日本でも「患者の権利」を尊重しようと姿勢がうかがえるようになってきました。日本語の「患者」(患うひと)には「我慢するという意味は含まれていないようですが、「痛み」「医者の説明」など我慢することはほとんど欧米と変わりがありません。医師・医療は可能な限りすべての人の「痛み」を我慢させず、すぐに取り除くべきであり、ましてや自身が「我慢」させる対象になっていないか、自戒しなければならないと考えます。

 


 

投稿者: 葉山クリニック

2018.05.30更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。毎年この時期、クリニックの軒下につばめが巣を作ります。しかし、雛の誕生はまだ目にしたことがありません。昨年は「抱卵放棄」で最終的に巣には5個産卵していたのを秋に巣の中で確認しました。冬に巣が破壊され(たぶんすずめの仕業)、床に割れた卵を認めました。基本的に「抱卵」を親鳥が放棄することはないのだそうです。抱卵は孵化する時期をそろえるために必ずしもずっと抱き続けるものでもないそうです。昨年は親鳥が忽然と姿を見せなくなってしまったので、親鳥に危険が迫ったのが「抱卵放棄」の理由と考えられます。つばめの生存期間は平均1.5年だそうです。生物学的な寿命は15年。つまり、不慮の事故での死亡がいかに多いかということです。孵化率も10%超、成鳥になる確率も15%くらいだそうです。日本社会では不慮の事故での死亡が減少しています。しかし、最近、報道される事件の中には子供の「命」が奪われる内容のものを少なくありません。事件が増えたのか、報道されることが多くなったのかはわかりませんが、混沌とした世の中になってきたようにも感じます。今年、つばめの孵化は見られるか。事故、事件の「報道」の度、逆につばめを見るたび、不慮の事故のことを考えてしまいます。

投稿者: 葉山クリニック

2018.05.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。昨日、診療が終了後30分して、電話がかかってきました。出ると、発熱があるという方からの診療依頼でした。個人的には、時間外であっても診察は吝かではないのですが、昨今、カルテ、処方などすべてコンピュータ(PC)処理です。実際の診療はできても処方箋の発行がPCを立ち上げないとできません。会計処理は残念ながら、私個人では困難。ならば、私個人使用の薬剤を融通してはどうか、とも考えましたが、その薬で副作用が出たときにはどうなるか、責任はどうか?そもそも正式な診療行為なのか、など葛藤があります。そのほかにも、航空機の中で、急患が出たとき、ドクターコールがありますが、そこで患者を診療した場合、最悪、誤診すると訴えられる、ということがあるそうです。使命感あるいは、親切心で診療してそのような責任を負うことがあるため、普段の診療と以上に、緊張して診察しなければなりません。ただし、診療場所としては設備が整っているとは言えず、確定診断、適切な処置ができるということは可能性が低くなります。このような葛藤が湧くというのはなぜでしょう。患者ー医師の信頼関係が相互に確立されていない。どちらかが優位な立場であれば、それほど迷ったりしないのですが、最近は患者、医師対等な立場で診療にあたるので、その辺りでおこる葛藤なのかもしれません。結果的に医療の萎縮にならないようにしたいと考えています。

投稿者: 葉山クリニック

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