2026.10.26更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。

 私は、月一回、髪を切ります。約40年間、ほぼ変わらぬ髪型で過ごしました。変わらないのは、理髪店が変わらなかったからです。つまり、同じ理容師さん(Iさん)に、髪を切ってもらっていました。途中、そのIさんが独立された時もそのままついていきました。毎回、約1時間、いろんな話をしました。いや、正確には、聞いてもらっていました。Iさんは聞き上手で、私の愚痴をよく聞いてくれました。と言ってもただ、聞くだけではなく、ご自身の意見もしっかり述べながら、それでいて、決して意見がぶつかるような主張はされませんでした。同年代でもあり、共感することが多かったのだと思います。私は、よくしゃべりました。自然とここでしかできない話が多くなくなりました。だから、店を出る時は、頭の外観だけでなく、中味もいつも癒されていました。
 そのIさんが店を閉められることになりました。今年いっぱいだというのです。一番に浮かんだ感情は、寂しいでした。からだの一部を預けて、40年間、それが出来なくなります。思った以上に大きな喪失感でした。年末最後の予約を入れてきました。しかも、私が生涯最後の仕事になるといいます。その時のことを思うと、感情が抑えられるかどうか、自信がありません。なんて声をかけようか。お世話になりました、という感謝。でも、寂しさの方がやはり大きい気がします。お疲れ様。ありがとうございました、と泣かずに言えればいいのですが。

投稿者: 葉山クリニック

2026.10.24更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先日、クリニック開業12年を終え、13年目に入りました。12年は十二支が1周したことになります。時間経過が早かったかどうかで言うと早く感じています。かなり濃密な時間経過でした。良いこと、悪いこともそれぞれたくさんありました。改めて、初心を確認しました。できていませんでした。「一尊一笑」を目標に開業しました。もちろん、私が唱えた言葉で、診察時の心掛けとして、患者との関わりをどうするかを決めたものです。ひとつ、尊敬、ひとつ、笑い。短い診察の中に、患者のことを尊敬し、私からは一つ患者を笑わすことを目標に一つ一つの診察をしようというものです。できたときもありますが、そのことすらわすれて診察しているときも多々あり、難しいことでした。特に笑わすことは、冗談にならず、患者の機嫌を損ねることもあり、失敗も多かったと思います。でも私はどんな状況でも笑うことは 体調にいい影響を与えると思っているので、この目標は今後も可能な限り実行しようと思っています。ただ、誤解されないように十分注意することが大切だということも学習しました。新たな十二支に向けて努力していこうと決意を新たにした今日でした。

 

投稿者: 葉山クリニック

2026.10.03更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。

 誰かのことを考えていると、その人に偶然、バッタリ会ったりする。日常、こうした偶然は、誰もが経験したことがあると思う。余地能力、既知体験、表現の仕方は変わるけれど、大げさに運命を感じたりする。
 どうしてこんなことが起こるのか?それが、人にバッタリ会うくらいのことではなく、あり得ないくらいの希少な出来事が複数回、重なると怖くなることさえある。確率が低くても、ゼロではないのだから、起こり得ると言えばそうかも知れない。しかし、そこに人は、どうしても運命的な意味を見出す。そして硬い絆を感じる。偶然ではなく、必然だと。やはり、未来は決まっていないほうが躍動する。他者との関わりは摩訶不思議であるほうが面白い。

投稿者: 葉山クリニック

2026.09.28更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。最近の天候不順はこどもの頃、なかったと感じることがあります。ゲリラ豪雨、猛暑日、酷暑日、道路冠水、帰宅難民など急激な天候の変化で正常な生活が容易に阻害されるようになりました。私の父は漁業(漁師)に従事していました。毎日、防波堤でたばこを燻らせながら、空、山、海を眺めていました。無論、ただ景色を見ていたのではありません。雲、風、感じる湿度でこれからの天候を予想し、漁に出るか否か、漁獲が望めるか否か、を判断していました。記憶しているのは、湿気を帯びた南風を「まぜ」、冷たい北風を「やませ」と呼んでいたことです。「まぜ」はその後に雨が降りました。漁業は天候に左右される仕事ゆえ、概算で月の半分が操業できればいい方でした。その上で、父はすこしでも天候に懸念があると、漁にでることを渋り、いつも母に叱咤されていました。ただ、私のふるさとの漁村では、漁師が年間1人くらい、漁に出たまま帰ってこないということがあり、天候を読み違えると生死にかかわる事態になっていました。実際一つ上の学年の男子生徒の父親が遭難し、そのまま行方不明となったことを記憶しています。朝日、夕日をみると、海をみていた父を思いだします。案外、どうしたら、漁をさぼれるか言い訳を考えていたのかも知れません。

投稿者: 葉山クリニック

2026.08.22更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。先日、携帯電話を外食先の座席に忘れました。10分後、たまたまシャワーのような小雨が降り、そのあとに綺麗な虹がかかりました。しかも主虹と副虹も伴っており、これはシャッターチャンスと思い、携帯を出そうとしたときに、忘れたことに気づいた次第です。その時、「虹って、円弧(曲線)を描くけど、なぜだろう?光は直進するのだから、虹も直線でいいはず。」と疑問が生じました。それで、INTで調べたところ、雨粒に屈折・反射したし、主虹は同じ角度(約42度)で出てくる光だけが、我々の眼に届くため、、実際には空に円錐状の{光の方向}ができ、その切り口として円弧が見える、ということでした。そして副虹は反射を2回することででき、角度も(約52度)で出てくる光だそうです。実際に観察者自身が高いところに居れば、円形に見えるのだそうです。わかったようなわからないような感じでしたが、携帯を紛失することなく、手元にもどってきたことは、やはり「虹」は幸運をもたらすシンボルだったということに感心しきりでした。

投稿者: 葉山クリニック

2026.08.10更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。毎朝散歩している人の光景、触れ合いを見ていて、触発されて思いついた短い話を記載します。すべて虚構です。

燈(あかり)

 ほんのりとした燈(あかり)の中にその人は佇(たたず)んでいた。
誰を待っているのだろう。誰も待っていないのかもしれない。その傍らには子犬がいて、ご主人様のことを気にかけてちょこんと寄り添っていた。きっとその人の憂(うれ)いを感じていたのだろう。
 私が近づくと、子犬から近寄ってきた。私が子犬に手を触れようとしたその時、
「今晩は」
とその女(ひと)から声をかけられた。
「今晩は。可愛いですね」
とぎこちなく、応じるのが精いっぱいだった。それ程、その女(ひと)は綺麗で、清楚なひとだった。
 私は正面から、その人を見ることができなかった。
もうすでに恋していた。理屈じゃない。
 その女(ひと)は微笑ながら、次の言葉を待っているように感じた。ただ、私から次の言葉は出なかった。
そして、少し間があった後、
「じゃあ、」
と短い言葉を発して私から離れようとしていた。
 あの一瞬の間は、私からの返事を期待しているように思えた。確実にその気配を感じた。
それでも、私は言葉をかけられなかった。言葉を発することで、私の気持ちが透けて見られそうな気がして。
そしてその気持ちが邪(よこしま)なものであることを。
 今後一生、この思いを告げる機会はないだろう。その人の後ろ姿を見送りながら、ある種の後悔を感じていた。
 前方には変わらず、ほんのり、燈が周囲を優しく映していた。

投稿者: 葉山クリニック

2026.07.23更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。七夕(たなばた)は、中国の七夕(しちせき)に端を発する日本の祭り。織姫と彦星(それぞれこと座のベガとわし座のアルタイル)の伝説に基づき、一年に一度の再会を願う行事です。伝説では、結婚後に牽牛(彦星)と天帝の娘、織姫が仲が良すぎて普段からイチャイチャして仕事を怠ったため天帝の怒りをかったための罰として、天帝が怒って会えなくした。しかしそれからちゃんと働くようになったから1年に1度だけなら7月7日の夜だけ会う事を許し たって言うものです。現代に置き換えると、なんとも親の厳しさが際立った話です。また、天帝の権限が巨大過ぎて恐ろしいとも思います。仲がいいことは決して悪いことではないと思いますが、きっと仕事を退勤するほどの中のよさだったことで、周囲に迷惑がかかったということでしょう。現代では「ライフーワーク・バランス」という言葉があり、仕事はある程度の生活水準が維持できれば、あとの時間を自分のために使う、ということが尊重されています。どうも他者からの評価・評判を基準にするのではなく、自身の評価を重視することへ傾向してきていると考えられます。この価値観は世代間で別れるもので、なかなかその溝は埋まりません。その両方をうまく使い分けできれば、とも思いますが、、。

投稿者: 葉山クリニック

2026.07.02更新

葉山クリニックの撫中です。過去に複数回、与えられた事を喜ぶという場面を多く経験しました。年齢を重ねると、与えられて喜ぶより、与えて喜ぶ側になりなさい、とも聞くようになりました。先日、思いがず、プレゼントをいただきました。有形の形でしたが、予測しない事態にとてもうれしく感じ、数日経ってもまだ、余韻に浸っています。脳内には幸せホルモンと呼ばれる神経伝達物質があり、その中の一つのドーパミンが今回のことに大きく関係しています。ドーパミンは最近の研究では、単にうれしい時に分泌され、うれしいと感じさせるものではなく、「予測誤差を表現する物質」と言われています。今回、予測していなかったので、ゼロから一気に立ち上がったため、誤差が大きく、喜びも一塩だったと考えられます。逆に与える側になった場合、相手の反応がどれほどか、を予測していく経過があり、その予測を上回ったとき、喜び,に代わるのです。ですから、反応が薄い時は、誤差が小さく、期待したほどに与えた側の喜びが得られないことになります。つまり、「せっかくあげたのに損した」という感情が湧くのです。だから、与えるときは自身の感情を押し付けず、与えることのみに満足するというだけに止めたほうが落胆しないのではないでしょうか。しかし、今回は本当に嬉しかったので、「与えられる人で良かった」です。そしてやはり、与える側で今回のような喜びを与える人になりたいです。与えるときはたんに一瞬のひらめきではできず、十分時間をかけて相手のことを考え、実行する過程、背景が存在します。ありがたいことです。感謝いたします。

投稿者: 葉山クリニック

2026.06.24更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。人と人との会話の中で「嘘」は少なからず、存在します。嘘とは、「虚偽性」と「意図性」が合体したもので、意図をもって虚偽の事柄を相手に伝えることであり、相手にとっては後々不利益になることが多くなります。しかし、道を聞かれ、結果、間違った道を教えてしまい、「あ、間違えた。嘘を教えちゃった。」となった時、意図性はありません。つまり、相手をだますつもりがなかったことになります。要するに、「意図性」がなくても嘘ということがあります。さらに、相手を驚かせるために短時間、嘘をつくこともあり、通常、「サプライズ」といいます。ただ、伝えるだけでは感動が薄いので、少し演出を加えて実施するのですが、少しだけ、相手の戸惑った、驚いた表情を楽しむという、やや意地悪さも含まれているような気がします。

 対して、勘違いとは、事柄は虚偽なのですが、意図性がありません。本人が嘘だと思ってないからです。事実でないことを信じ込み、伝えているので悪気はないのですが、本人と相手の事実に相違が生じているので、なかなか擦り合わせが困難です。時に、口論にも発展しかねません。嘘と勘違いは全く違うものですが、日常生活では、嘘をつかれた、言ったことを信じてもらえなかった、といった行き違いの元凶になるものです。嘘も方便と言いますが、相手のためを思って、あるいは良い結果を得るために嘘が必要になるときに使用します。しかし、これでさえ、相手のため、を考えてしたことですが、事実相手のためになったか否か、は相手が決めることで、仇になることもしばしばです。本当に人間の意思伝達は難しいものです。

投稿者: 葉山クリニック

2026.05.27更新

宗像市葉山クリニックの撫中です。1週間前、田舎から荷物が送られてきました。もちろん、母親からです。荷物を受け取ったことを連絡すると、「お前のへその緒と母子手帳を入れといた。」と。布製の袋に手帳と霧箱が入っていました。母親の中では終活の一つとしての受け渡しだった、と想像しました。この受け渡しは、成人や結婚のときに親から手渡されるなど、節目に親子で振り返るきっかけになります。自分を産んでくれて早67年、長い間保管していたものを手放す気持ちは如何か、想像するに悲哀が込み上げてきます。それに加え、母が子を思う気持ちに改めて感謝したいと思います。母親なら、ほとんどの方が子供のへその緒を持っているようです。日本の慣習の中でも愛情に満ちたいい慣習ではないでしょうか。生まれたときの感動、そして絆、その後の成長、最後に受けわたす、母子だけの厳粛な儀式に思われます。

投稿者: 葉山クリニック

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